雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

世代間格差は世代内格差でもある

将来の増税かインフレかは分からないが、放漫財政が将来世代にツケ回ししているのは確か。しかし誰かしら経済や介護といった世話の必要な老人の面倒をみる必要があるとして、世帯単位の相互扶助よりは社会保障制度の方が、世代内で世話の必要な親を抱えている者、そうでない者とで負担の公平性があるのではないか。子育て支援も実は「当の子供たち」も一枚岩ではなく、不甲斐ない親を持った子が犠牲になるか、将来の増税でみんなが犠牲になるかの違いかも知れない。

日本経済の最大のリスクは、経済の長期停滞を放置して目先のバラマキばかり力を入れ、若者から取り、老人に与える政治家である。与野党子供手当や幼児教育の無償化を競っているが、その財源となる巨額の国債増税で償還するのは、当の子供たちだ。彼らがそのしくみを理解したら、「親の犠牲になるのはいやだ」と泣くのではないか。

ところで3人の子を持つわたしの場合、個人的には現行の控除よりも民主党の主張する子ども手当の方が得ではあるのだが賛成ではない。不甲斐ない親が子ども手当をパチンコや飲み代に使っては、結局のところ機会格差は是正されないし、そのような政策が将来も続くか確信を持てないから、親として決して安心できないからである。
子ども手当は子育てのために使われるべきで、バウチャーとして教育費や文房具代などに使途を制限し、酒食やギャンブルには使えないようにすべきではないか。また安心や負担の公平性という点ではばら撒き的な家計補助よりもインフラ整備が効果的で、大盤振る舞いする前に待機児童を減らすための保育所整備やら、介護やら老人ホームの順番待ちを解消する方が重要だ。
今の年金制度が老人を優遇しているといっても、今のところ経済成長やら貿易の恩恵を受けて後の世代ほど生活水準は上がっているはずで、お金のフローだけをみて年寄優遇と批判するばかりでもないのではないか。年金制度なり国家財政をみると確かに老人優遇だが、後から生まれただけで裕福な生活をしているという自覚があってもいい。
成長を前提とした社会システムが軋んでいることに対して、今の政治が後手に回っていることへの苛立ちはあるが、今のところ若者は必ずしも割を食っているだけではない気がする。若者が世代間格差を改善するために投票権を行使するとして、老人との戦いと位置付けて将来の増税を拒否したつもりが、親の世話が必要になったら?というロシアンルーレットに指をかけることになるだけではないか。年金も財政も将来不安を払拭し、崩壊させないための制度改革は必要だが、それは経営の問題であって世代間闘争に置き換えることは決して得策ではない。