雇用の流動性を一概に論じることは難しい
もっとよく勉強する必要があるが、フリーターが転職を繰り返すのも、新卒で入った会社に何十年もいようとするのも、今となっては経済合理性や雇用規制よりは、思い込みや刷り込みが大きいのかも知れない。大学でのキャリア教育に期待するよりも、欧米のように30歳くらいまで様々な仕事を転々としながら居場所をみつける小さくてもいいから成功体験のようなものがあった方が自然と流動化するのかなあ。行く先が十分にあるかという別の問題も大事だけれども。
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時代の境目というのは難儀なもので、世の中のルールやインフラは旧態依然としているけれども、そこに乗っかって真面目にやっていれば報われると信じることは難しい。特に今の学生たちなんか、単に需給バランスで落とされている場合が多いだろうに、人生の船出のところで何十社も受けて否定され続けるような経験をさせられれば、自分は社会のどこでも通用しないのではないかという誤った認識を持ってしまうかも知れない。需給の崩れている世界で無理に売ろうとするから買い叩かれるのだとすると、需給のおかしな時期は無理せず種を蒔くような生き方が本来あって然るべきなのだが。
20代のうちに、世界は広くて、自分の可能性は諸々あって、様々な世界から様々な受け入れられ方があって、人生の目標だの生き方にも諸々あるのだということを、緩く共有できたらいいんだけどね。それはジタバタして自分に合った居場所を探すとか、カネになるかは別として様々な伏線を張ってみるとか、緩やかな紐帯を大切にするとか。ひとの縁、仕事の縁とは不思議なものだけれども、ホモジニアスな世界に長いあいだ閉じ込められていると、肩の力を抜いて外の世界と接することが難しくなることも。会社にとってはその方が短期的に御しやすい一方で、昔と違ってそいつの一生ずっと面倒みれるんだっけ、という現実的な問題があったりする。いずれにしても制度論よりは経路依存的で業界やらクラスターによって状況が大きく違うので、過度に一般化することは危険かもね。