雑種路線でいこう

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就職氷河期世代が30代までに居場所を模索するための5つの習慣

新卒の内定率が就職氷河期よりも悪いらしい。いずれ大企業に入り損ねた俊才が起業して日本を救うかもしれないが、進路を閉ざされた多くの若者にとって救いになる話ではない。厳しい就活競争で周囲を出し抜き勝ち抜くための秘訣で、みんなが救われることはない。就職できたとして「やりたい仕事」に就けるとは限らないし、就活に失敗しても数年後に居場所をみつけているかも知れない。どうすればシューカツ一発勝負で疲弊するのではなく、長丁場の人生を意識して「やりたいこと」や「居場所」を模索していけるのだろうか。

今春卒業予定の大学生の就職内定率が、2月1日時点で前年同期を6.3ポイント下回る80.0%で、1996年の調査開始以来、過去最悪だったことが12日、文部科学省厚生労働省の調査でわかった。就職氷河期と呼ばれた2000年の81.6%も下回り、雇用情勢の厳しさが改めて浮き彫りになった。

というわけで、ちきりんは今20代前半だったら、絶対大企業に雇ってもらうより起業のがいいって思ってる。でもこの国はみんな超保守的だから「大企業に雇ってもらえるなら雇って欲しい!」って思ってるじゃん。だから、不況で新卒採用の氷河期が再来し雇ってもらえなくなるのは超がつくほどええことなんです。

1. 諦めない 勝負はまだ始まったばかりだ

日本は一般に新卒一括採用・年功序列・終身雇用だという通説があるけれども実際のところそうでもない。『雇用の常識「本当に見えるウソ」』によると、日本ではここ数十年「若年期には数回の転職を行うこともあるが、30代までには年貢を納め、その後は定年まで一つの会社にとどまること」が一般的らしい。わたしも19歳で大学に入って2年間は様々な仕事を転々とし、大学2年の終わりに前の会社に入り、25歳で今の会社に移った。
たまたま新卒でどこかの会社に入れても3年以内に30%は離職する。どっかの会社に正社員として就職できたから幸せが約束された訳でもなければ、就活に失敗したところで様々な道がある。みんなと横並びに就活する以外に学生時代から働きはじめる道もある。横並びで就活するから十把一絡げに評価されてしまうのであって、ちゃんと中身をみてもらいたい時は相対で売り込める道を探す必要がある。シューカツは長い人生で「やりたい仕事」や「居場所」をみつけるための、ひとつの契機でしかない。勝負はまだ始まったばかりだ。

2. 自分のやりたいことを因数分解しよう

男の子って将来の夢を聞くと野球やサッカーの選手、宇宙飛行士とか、そういう華やかな答えが返ってくる。幼稚園や小学校の間は微笑ましいが、大学生の就職ランキングをみても、消費者に認知されてテレビにCMを出している有名企業に志望が集中しているようだ。
学生時代は社会を支える様々な会社と接する機会が少なく、具体的な仕事に対する想像力なんて働かないのだから仕方ない。僕は小学生のとき卒業文集に弁護士になりたいと書いた。口が達者なのが取り柄と自認していて、それを活かせる仕事を他に知らなかったからだ。中学時代はジャーナリストに憧れた。文章を書いて多くの人に読んでもらい、少しでも社会の変化に関わりたいと思ったからだ。
現実には司法試験を受けようと思うほど勉強好きではなかったし、新聞社やテレビ局を目指せるようなブランド大学は軒並み落ちた。多少はコンピュータが分かって文章を書けるのでIT系ライターからキャリアを積んだが、今では達者な口を活かしてジャーナリスティックな仕事ができている気がする。
世の中には学生の間で気付くことのない様々な仕事があり、その中には自分に向いていたり、自分が満足するかたちで社会と関わり合える仕事もあるかも知れない。逆に学生の頃は憧れた華やかな仕事が、実際には水面下で非常に忙しく私生活を犠牲にせざるを得なかったり、構造不況業種で遠からず行き詰まる場合もあるだろう。
漠とした就職志望に縛られ過ぎては居場所は見つからない。自分が実際のところ何を欲しているのか、どういう時に充足感を覚えるのか、それを満たすには様々なかたちがあるのではないか、見つめ直してみると意外と様々な可能性が拓けるかも知れない。

3. 先輩の経歴や中途求人で憧れた仕事への道標を探す

これだけ求人状況が厳しいと、就活に成功したからといって選り好みできる余地はかなり低い。憧れの会社に入れたところで憧れた働き方ができるようになるまで時間がかかる。最初の就職志望では憧れてる華やかな仕事に近い業種ばかり受けてしまいがちだが、それで仮にシューカツに成功したところで華やかな仕事につけるとは限らないし、流れに乗れても目標に辿り着くまでには時間もかかる。
例えば自分が20代後半や30代前半でどういったカタチで活躍したいか具体像があるのであれば、実際そういった仕事をしている人々が、どういった紆余曲折を経ているかが参考になるのではないか。これまでは学生が他人の履歴書を見る機会なんてそうそうなかったが、最近はLinkedinやFacebookのプロフィール欄に職務経歴の詳細を公開している人々も少なくない。全ては公開していないひともいるが、学生さんから「シューカツの参考にしたいんです」といわれて悪い気はしないのではないか。Linkedinへの登録は英文履歴書の書式を覚える上でも勉強になる。
もうひとつ無闇に英語や資格取得の勉強をする前に、世の中でどういった能力を持っている人々が必要とされているかを知るべきだ。いまはその能力を持っておらず、中途採用に応募できなくとも将来的に応募資格を得るために、どういった経験を積むべきか、どの程度の英語力や資格を要求されるかを知ることは、今どういった仕事に応募し、何を学ぶべきか検討する上で参考になるだろう。社会に出て早い段階に、それだけの余裕があるかは難しいけれど。

4. 35歳までに身につけるべきソフトスキルを自覚する

最近は新卒採用でもコミュニケーション能力やら社会人力といった曖昧な言葉が使われるが、泣いても笑っても多くの会社はその手の能力を必要としているらしい。しばしば体育会系サークルのリーダー的な人物像が理想としてひとりあるきする場合もあるけれども、世の偶像に合わせて自分を偽っても痛々しいし、現実の仕事に於けるリーダーシップは多様なのだし自分なりのスタイルをみつけるしかないだろう。
実際のところホワイトカラーの仕事って大概は事前調査・利害調整・段取り・人間関係のケア・望ましからぬ状況から抜け出す力といった曖昧模糊とした何かで、相手や内容に応じて英語やら専門知識が必要となる場合もある。アルバイトや派遣労働で蓄積され難いのはそういった諸々を自分から世話する能力で、だから頭の柔らかい間に場数を踏んで面倒な仕事は覚えておくに越したことはないし、英語やら資格よりも汎用性が高い。
では新卒採用から漏れた場合にそういったソフトスキルが身につかないかというと、世の中そういう世話を必要としている領域は諸々あるのではないか。地域社会でもNPOでもオープンソースプロジェクトでもいいが、人が集まって何かの目的に向かって動くときには必要となる。職務経歴はジョブカードのような仕組みができたが、仕事に限らずリーダーシップを涵養できる多様な場を用意し、そういった活動を通じた能力獲得も才能として評価できる仕組みを考えるべき時期に来ているのではないか。

5. 様々な人と出会い「緩やかな紐帯」を築く

似た世界に住んで互いに競争している学生同士で議論や情報交換しても、シューカツの中のことに詳しくなれても外側にある社会までは見えない場合が多いのではないか。自分の気付いていない様々な関心や可能性に触れるためには、近い分野に関心を持っている大人の輪に入ってみるのも一案だ。そこにはあなたの知らない会社、組織、コミュニティが関わっているかも知れない。
IT関係であれば昔と比べて随分と勉強会やらユーザー会の会合が増えたし、時代の変わり目ということもあって方々で様々なシンポジウムが開催されている。それらの情報はIT勉強会カレンダーやSNSで広く共有されるようになった。無償だったり学割を設定しているところも多い。大学での専攻やら希望業種で勝手な苦手意識は持たず、ふらりと顔を出してはどうか。勉強会は話のタネで、その後の懇親会で立場の違う様々なひとと話せば、これまでと違った世界を垣間見て世界に対する関心や志望の幅が広がることもあるだろう。そして視野と可能性の幅が広がれば広がるほど、居場所の見つかる可能性は高くなる。
とはいえシューカツに奔走するようになってから方々の会合に顔を出す余裕も限られるだろうから、できれば学生時代を通じて様々な世界と「緩やかな紐帯」を築いていく必要があるだろうし、大学教育の早い段階でそういった指導をできることが望ましい。また東京圏であれば多様な文化や技術コミュニティに簡単にアクセスできるが、地方大学の場合にどうやって「緩やかな紐帯」を築いていけるのか、Social Mediaの活用や社会人による集中講義など実践を蓄積していく必要があろう。

(番外) 起業は他人のためならず

大企業に属するおっさんが学生に起業を勧める構図は正直あまり恰好いいものではない。自分は学生時代いくつかのスタートアップ・ベンチャーを手伝ったり手掛けたが、自分の資本を入れた会社をつくったことはないので責任あるアドバイスができる自信はない。正直ベンチャー企業をつくったところで、上場やら他社に売却できる可能性はそれほど高くないし、社会やら仕事を知らない若者が徒手空拳で会社をつくることの危うさを改めて強調するまでもない。
それでも起業することは選択肢として考える価値がある。僕の学生時代は商法改正前で結構な資本金を用意する必要があったが、最近はだいぶ安く簡単につくれるようになった。開発ツールの無償提供やSaaSクラウドで参入費用や固定費も劇的に下がっている。カジュアルに会社やWebサイトをつくり、自分の能力や作品を世間に示す能力があるならば、仮にベンチャーとして大成しなくとも居場所や仲間をみつける助けになるだろう。
わたしも学生時代に個人事業主として営業から契約、業務、検収、請求まで通しでやったが、あれはなかなか勉強になる。アルバイトや正社員で会社の仕事の部分部分を任されるのと違って、緊張感があるし仕事の全体像がみえる。自分で提案した仕事をやり遂げる機会は自信に繋がるし、全体をみて仕事を回すことを通じて得られたソフトスキルは、20代後半から30代に入って居場所を探し直す場合も大きな強みになるのではないか。

少しずつ主体的に閉塞的な日本社会を変えるために

日本社会が再びロスジェネを生みつつあるのは非常に残念だ。経済が成熟する過程で日本企業の多くが現在のような新卒偏重の人事体系を維持できるかは疑わしい。業務の専門性が高まる中で転職市場の厚みが限られ、日本企業の競争力を削いでいるのではないかと懸念している。
これまでの雇用慣行をどう変えていくかは非常に難しい問題だ。1970年代の米国製造業、80年代のIBM、90年代のHPも似た問題に直面した。それは法律や判例による縛りだけでなく、経路依存的で様々な利害関係や社会通念と関わっているからだ。現在の仕組みが公正とも持続可能とも思えないが、それは何かを批判し、法律をいじり、或いは誰かを特権階級から引きずり落とすことで解決するほど簡単な問題ではない。
結局のところ新たな動きをする個人が現れ、ときにロールモデルとして成功し、新たな価値観を具現化した企業が台頭する中で、少しずつ時間をかけて社会規範そのものが上書きされていく。それはムラのある緩やかなプロセスで、実際はもう始まっているのではないか。ご承知の通りIT業界でも新興企業や外資の間では大きな雇用流動性が生まれつつあるしサービス産業も然りである。これまで終身雇用を墨守できてきたメディア業界も、厳しい経済状況の中で難しい決断を迫られつつある。産業規模の割に声の大きな彼らの常識が変われば、世の中の雰囲気や常識も一変するかも知れない。
右肩上がりで成長した時代には合理的だった新卒一括採用の弊害は大きくなりつつあるし、自分じゃ選べない卒業年次で社会への門出が大きく左右されることの理不尽には心が痛む。しかし生活水準をみれば捨てたものではないし、外国語を学ぶ敷居は大幅に下がり、世界をみれば様々な機会もある。総合的にみて今の世代が高度成長期と比べて不幸だとは一概に決めつけられないのではないか。とはいえ社会が変革期にあって昔のような目標やロールモデルが通用しなくなったことは確かだ。
避けるべき本当の不幸は新卒で希望の仕事に就けないことではなく、そこで未来を悲観し投げてしまうことではないか。世の中には学生からは見えづらい様々な生き方があり、固定観念や国境の壁を取っ払えば、様々な可能性が広がっている。メディアの喧伝する定説・俗説に惑わされることなく現実の奥行ある雇用市場を冷静に見つめ直し、実は意外と多様なキャリアパスがあることに気づき、自信を持って自分を磨きながら社会と関わっていく中で、企業や社会を少しずつ内側から変えていけるだろうか。

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