雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

腹は立つけど、ないものねだりは止そう

風邪を引いて調子がさっぱりだ。震災後いろいろなことを考えてはいるのだが、うまくまとまらなくなってしまった。地震直後はもっと世の中が劇的に変わることを期待していたし、そのトーンで復興のエントリーも書いたけど、どうも早過ぎたようだ。まだ復興どころか原発も収束してないし、東電がどうなるかも分からない。支離滅裂のメッセージが国から発信されていて、一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
いろいろな食べ物が放射性物質で汚染されているけれども、東電や政府による補償の枠組みもさっぱり見えない。ちゃんと廃棄されたものもあるだろうが、現地で買い叩かれてサプライチェーンに紛れ込んだ汚染作物も多いのではないか。正規に流通している食べ物だってチェルノブイリの頃なら輸入拒否してた程度の汚染はあろう。風評被害でも何でもない現実である。不安だし腹は立つが責める気にはなれない。みんな食わねば生きていけないのである。多少は先々ガンになる確率が上がったって、いまは腹を満たすことの方が重要だ。スーパーで多少は産地を選り好みできたって、外食の度に材料の原産地を聞く訳にはいくまい。
政府の説明によると電気代は値上げせず、株式や社債は保護し、銀行には債権放棄で泣いてもらって、東電以外の電力会社からも基金に拠出し、国は基金に資金を出すが最終的には東電が返済するという。デタラメである。まず株主が泣いて、次に社債を含む債権ではないか。原発被害の賠償よりも社債の返済順位が高いのは問題だから倒産させなかったというが、住民への補償以前に汚染水の処理さえ自己資金じゃ難しいのである。お金に色はついてないのだから、建前の問題に過ぎない。どう考えても倒産している企業が監理ポストにさえ行かないのだから、この国の資本主義は面白い。
地震の後から海外ではメルトダウンと報じられていたし、補償で約十兆の他にも汚染水の処理で十数兆かかるといわれているのに、今日の東電決算発表では引き当てているように見受けられない。国からの指示待ちで織り込めないというが全く主体性に欠けた姿勢である。確かに原子力は国策だったが、1基あたり1200億円の原賠保証を除けば一義的には東電が賠償すべきだ。もちろん窓ガラスを割った小学生と同じで実質的な負担能力はないだろうが、他人事にされては収まる話も収まらない。税であれ電気代であれ、最後に払うのは国民なのである。
この時期に発送電分離が取り沙汰されているのも理解に苦しむ。市場競争を通じて独占利潤を吐き出させることが自由化のメリットだが、いまや東電は巨大な簿外債務を抱えている。これを自由化したって電気代が安くなるとは考え難い。東電の独占が新エネルギーの足枷となったという説はあるが、数年前まで日本の太陽光発電は世界一だった。太陽光発電が失速したのは補助金を打ち切ったからだし、地熱発電が伸びなかったのは温泉利権の整理や国立公園内での開発が難しかったからではないか。
あえていえば最終的に容易に国民ににツケ回しできる構造こそ無責任な原子力行政を許してきた面はあるので、そこにケジメとして市場メカニズムを導入することも将来は考えられるが、今やるべき事態収束のための議論とは分けるべきだ。
いろいろ腹が立つので筋を通してまずは法的整理し、まっさらなところから補償スキームを考えるべきだとも考えたが、よく分からないのは福島で事態収束へ向けて働いている人々のことだ。いま東電を潰すと協力会社の東電に対する売掛債権も吹っ飛ぶ。法的整理して配電会社、発電会社、廃炉・補償会社に分離したとして、補償会社が配電会社、発電会社の売却益で協力会社の売掛を補償できるかも知れない。けれどもこれらが経営分離した場合に、将来の設備投資を行わない補償会社が、引き続き協力会社からの求心力を保ち続けるだろうか、いま福島から逃げ出さずに多くの人々が汗をかいてるのも、これまでの東電との貸し借りや、将来の取引を考えてのことではないか、ってところまで考えたところで、ちょっと分からなくなってきた。
どうすればいいのか自分でも分からないのだが、ひどいことが起こったのだから、美しく解決できるとは限らない。東電支援法案が国会を通過する目処はまだ立っておらず、支援スキームの政府案がひっくり返る可能性も十分に考えられる。できるだけ筋を通しつつ、収束向けて動ける仕組みを考える必要がある。ないものねだりに阿って国民負担を飛ばしたり先送りするのではなく、フェアに受け止めた議論ができるだろうか。