雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

最近すっかりブログを書かなくなった理由を徒然と考えてみた

何も考えていない訳じゃない。飲み過ぎてブログエントリーを纏めるためのまとまった時間を取れないってことはある。Twitter中毒になって何でも140文字で書き捨てている間に表現欲がガス抜きされてるってのもあるかも。そしてFacebook。すっかりブロガーでなくなってしまってからTwitterやっててもブログが続いてるid:Chikirinさんやid:shi3zさん、id:finalventさんスゲーや、と思うようになった。
ところでいまSan Diegoに来ている。約100年前に建ったオンボロのホテルに泊まってる。手動扉のエレベータなんて初めて乗った。1913年にこのホテルに設置された時は世界で最も速かったんだと自慢げに書かれてる。サンディエゴは10年ぶりだ。10年前の僕はアフガン戦争に沸き立ち方々で星条旗を掲げたこの海軍の街に仕事でやってきた。9.11で海外出張禁止令が出て9月の出張は流れたのに、11月に入って競合他社が提携検討先と接触してるというんで、例外として11月のSan Diegoに出張命令が出たのである。
別に米国本土は危なくなかったし、飛行機はガラガラでエコノミーなんか座席3つ並べて寝ることができたし、けど空港は厳重警備で軍人が自動小銃を持って警備してた。そして街を歩いても民主主義国家が国民を動員するときの熱気とか気持ち悪さ、当時クールだったAppleの"Think Different"と同じかもっとクールに"In God We Trust、United We Stand"とやってるポスターとかを見ることができたのは貴重な経験になった。
僕は当時アフガン戦争をやや一方的だと感じていたが、野球の試合の途中で"God Bless America"を斉唱されると心に響く何かがあるのである。祭りもそうだが結局のところ動員とは動物的な感性に直接働きかけることなんだろうと、自分の精神が意志と無関係に弄ばれる、そういう居心地の悪さを感じたのだった。戦争に駆り立てる宣伝、星条旗はためく海軍の城下町、けれども閑静で平和な住宅街、この街はきっと東京大空襲の日も原爆投下の日も同じように閑静だったのだろう、とか考えた。
あれから10年が経ち、いくつか航空会社は倒産したが飛行機は10年前と同じように動いてて、欧米経済はガタガタになってて、米軍はアフガンからの撤退を決めたが中東の問題が全く解決したようには見えないし、ジャスミン革命とか民主化の動きは加速してて、それってでも本当にFacebookTwitterの影響なのか、穀物価格の上昇がまずかったのか、それだって実はバイオ燃料とも関係があるんじゃないか、少なくともカダフィーは欧米の軍隊が追い詰めたんじゃん、みたいなことを振り返った。そしていま泊まってるビルが築30年とかの頃に日本とアメリカが戦争してたのか、とか考えると気が遠くなる訳だ。
昔ほど自分がブログを書けなくなっているのは、そこまで考えた後で気の利いたオチをつけるとか、そういう構成をできなくなっているからで、それが何故かはまだうまく説明できないんだろうけれども、恐らく僕が毎日のように長文のブログを書いていた時、そこには繰り返し訴えたい共通の信念のようなものがあって、多くの事象がそこへと繋がるネタに過ぎなかったのが、今の自分は置かれた状況の中で利己的に漂っているばかりで、実はあまり伝えたいハラのようなものを持っておらず、その代わりに自分の信念や世界観への淡い疑いを持ちつつ、新たな世界像の枠組みを探しているのかも知れない。いまの自分にとって過去を肯定することよりも、これからを生き抜くための枠組みが必要で、いまは人生のそういう時期なんだろう。
必ずしも信念が人生を駆動するのではなく、むしろ現実に揉まれながら経験を積み重ねた氷山の一角に意識化された「信念」が時々は自己暗示をかけるような緩い関係で、ディスプレイを前に思いつく文章だって、そんなに確乎たる何かではないし、心の在り処が違えば別のことを書くのだろう。それが人間だし、そういう意味で今ある自分の意識とは一期一会なのかも知れぬ。結局のところ自分は自分が何者であるかなんて喝破できておらず、これから現出する事象に小突かれて腹で何かを思い、そう腹で思う自分のことを驚くこともある。
僕に限らず自分がどんな目に遇って何を思うか実は分かっていないことも多いし、それ故に自由意志に任せていれば最も幸せな状態を掴み取るかというと、そういうものでもない。サボるとかサボらない、高尚か低俗かといった価値観の問題だけでなく、何かをやってみて臨んだ結果を得られるか、瓢箪から飛び出した結果に直面して何を思うかというのは、実際やってみなければ分からないんだろう。
社会のしきたりや宗教というのは、そういった自己との微妙な距離感を陶冶するlifehackとしての側面もあったのかも知れないが、様々なシガラミとして日本人である自分はそれを捨てたのだろう。その方が良いと思って捨てたのではなくて、得体の知れない何かに身を任せることを拒否するのが近代的な生き方だと信じた訳だ。けれども宗教や様々な共同体が思い通りに行かないシガラミであるように、市場や偶然もまた身を任せざるを得ない得体の知れない何かであることには違いない。ただ主体的に選ぶかどうかの違いはある。
そう考えたところで流されない自分、自己決定なり自我の確立こそが自己実現への道のりであるという信念が自分の中で揺らいでいる。何かを頼るのも、自分を信じるのも、結局のところその結果を受け入れるということだ。そして何が正しいのか答えはないのである。頼ることも自分も信じることも同じように不確実だし、けれども自他なり何かを信じて、どこかしらに踏んばらないことには立たない。そこで何を信じるかは決めの問題に過ぎないのかも知れない。
だからたまたま自分がその時、自分だけのことしか見えていなかったのに、それがたまたまうまくいってたことを、自分はこうやってうまくいったのだ、だからみんな自信を持って自分を信じるべきだ、そうすれば道は拓ける、と能天気に励ますだけの勇気は今の自分にはない。人生とはもっと偶発的で、何を信じるかは自分で決めるしかないのである。
そして未熟な自分とは、それほど社会のことも自分自身のことも分かっていない小さな存在だ。そこまで引いた上で、けれども自分が感じて腹で思ったこと、他者と相対してどう信じることができるか腹で思ったことと、向き合いながら折り合いをつけていくしかない。胡散臭い自己啓発と距離を置いているようで、わたしの自分語りも亦そうやって自己啓発的に消費されることを期待していたことに気付いた先に、では何をどう表現することに意味があるのか考え直してみたい。