雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

成人の日に寄せて - ロスジェネの戯言

もう15年も前だが成人することに感慨はなかった。消費税値上げ前の駆け込み需要でバイトが忙しくて成人式には行かなかったしオトナになる実感もなかった。十代のころ学生運動尾崎豊に憧れたが、大学受験に失敗して浪人した頃には西海岸からネットの鼓動を聞き、大きく時代が変わりそうな気配を感じた。
今より牧歌的とはいえ当時だって世の中が終わりそうな話はあった。世間は阪神大震災地下鉄サリン事件に震撼し、東海沖地震はいつ起こるか分からず、銀行の不良債権問題は底なしで、国の債務発行残高は(今と比べればかわいいものだが)膨れ上がり、円高はどこまで進むか分からず、2000年問題とか世紀末には恐怖の大王が降ってくるなんて予言もあった。世の中の不安なんて、いつの時代だってそんなものだ。
実際あれから山一證券長銀日債銀は破綻し、2001年には米同時多発テロ事件が起こり、僕らは就職氷河期世代として厳しい労働市場に放り込まれた。世間で「失われた20年」といわれているように、君らが生きたこの20年は「東洋の奇跡」として成長を謳歌してきた戦後日本にとって辛く苦しい20年だったらしい。
一方でデフレと技術革新に支えられ、絶対的な生活水準でみれば歴史的に最も高いであろう現実も無視できない。時に的外れな説教を垂れる諸先輩方は君らよりうまい酒を飲んでるかも知れないが、君らはこれから彼ら諸先輩方が20歳の頃よりずっとうまい酒を飲み、幅広い情報に触れる機会に恵まれる。
僕ら人間は悲観的な予測に敏感だが、現実の悲劇に対しては割と楽観的にできている。それは生き抜く上で必要な感受性の歪なのだろうか。昨年の日本は千年に一度といわれる大津波チェルノブイリに次ぐ原発事故に見舞われる歴史的な危機だった。君も僕も今まさに日本史の教科書に載るような最悪の危機に居合わせてきた訳だ。
僕はこの先の日本経済が劇的に好転する構図を描けない。これから経済危機が深刻化し、日本社会の歪は更に顕在化するのではないか。これまで直面した危機と同じように、これから起こる危機も偶々居合わせた人々を悲劇に陥れて、周囲の人々には強い不安を与え、僕らはその想像力の豊かさ故に社会全体で危機感を分かち合い、時に助け合うのだろう。
現在の生活に満足している君らは、これからの時代に対して準備ができているのではないか。僕らは空気のように今の日本が歴史的に非常に恵まれていて、その状況がずっと続くとは限らない現実を受け入れている。残念ながら経済成長と自己の人格的成長とを勝手に重ね合わせて悦に入る余裕はないが、現実と折り合いをつけつつ経済の成熟と人格の成熟とを重ねあわせるのだろうか。
これから歴史は大きく動く。日本の若者にとって辛く厳しい経済状況でもあるが、君も僕も往時を偲び変化に押し流される犠牲者としてではなく、これから世界で起こる変革の一翼を担う可能性もある。いま世界中で起こってることを学んで構想を広げる上で東京ほど自由な場所はなく、他で学びたい場合でさえ世界中を行き来できる日本のパスポートと強い日本円は大きな支えになる。若年雇用は欧米諸国も中韓も更に厳しい。親世代と同様に日本経済の成長に乗れなくとも、この激動の時代に同世代にあって最も自由と機会に恵まれているかも知れない。
いつだって人間は悲観的予測に敏感で、親世代で得たものを引き継げると思い込んで勝手に失望することもあるが、変化を受け入れ未来を切り開いて生き抜くこともできる。今の日本にとって本当の軛は戦後日本の経済的成長によって膨れ上がった過剰な期待と、今なお厳しい現実を直視させない「経済成長の亡霊」ではないか。そしてこの「失われた20年」を共に生きた君らと僕らは今、新たな日本の道筋を描くべき時期に直面しているのだろう。