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縁故採用の良し悪しと岩波書店の英断

採用の応募にあたり紹介状を必須と公表した岩波書店に対して厚生労働省が事実関係を把握するらしい。

小宮山洋子厚生労働相は3日の閣議後の記者会見で、岩波書店が13年度の定期採用で同書店の出版物の著者や社員の紹介を応募資格にしたことについて「公正な採用・選考に弊害があるという指摘かと思うので、早急に事実関係を把握したい」と述べた。

よく読むと是正するだとか言質は取られてないし、定例記者会見で質問されて他に答えようがなかったのだろう。わたしは岩波書店の取り組みは従前からあった採用の慣行を可視化して広く門戸を開く意欲的な取り組みとして評価しているが、これを機に「縁故採用」に対して政府が何かしら対応を見当するのだとすれば、それはそれで興味深い展開ではある。
縁故採用についてWikipediaで調べるとこうある。

縁故採用とは、企業が求職者を雇用する際、その企業となんらかの関わりがあることを採用の条件とすることである。(略)求職者を雇用するのは、企業側にとっても大きな問題である。採用した人物が直ぐに辞めてしまったり、問題を起こしたりするとその企業も大きな損失を蒙ることになる。そのような中、「縁故」=「コネ」のある人物は「コネ」(取り持ってくれた人物)への配慮から就職後直ぐに辞めることが少なく、機密漏洩などの問題を起こすことが少ない点で、また、地方の地元企業では若者の大都市流出を回避できる点で重視している企業もある。 (略) 一方で「コネ」は公平性に欠け、優秀な人材を集められるとは限らないため、前時代的なものとして既に廃止されているか、または縮小されている。

現実に世の中で縁故採用が広く行われているのは明らかに経済的なメリットがあるからだ。世の中の仕事で特別に高い能力を発揮することが求められるとは限らず、長く働いて裏切らないことの方がずっと重要な場合も少なくない。特にここ数年は杓子定規で居丈高で誤りを認めようとせず、事情を覚える前にコロコロ変わってしまうオフショア先の事務員を相手に時間を空費する度に切実にそう思う。閑話休題
現実の「縁故採用」には「その企業となんらかの関わりがあること」以上に隠微な響きがある。残念なことに聞くところによれば世の中には、単に従業員や取引先の親族であるというだけの理由で重用される人もいて、世話役をさせられる社員が苦労したり、それでも問題を起こすことがあるらしい。民間企業であれば質の低い企業は市場で淘汰されるだろうし、あまりに悪質な事案は背任の疑いや株主代表訴訟のリスクがある。
しかし役所の場合は市場の淘汰圧が働かないので「国家公務員法地方公務員法では採用に際して「臨時職員としての勤務実績がある・職員の縁者である」といったことを理由とした如何なる優先権も認められていない」(Wikipedia)し、役所に準ずる外郭団体や、法律で独占的な地位を保障されている公益企業も改善の余地はある。公共の電波を独占的に割り当てられ不偏不党を保障されている放送局、殊に放送法上の特別の地位を有する公共放送での採用は、疑念を抱かれぬよう厳に公正であるべきとも考えられる。
しかるに岩波書店の取り組みは縁故によって採用が決まる訳ではなく、書類審査の要件として紹介状が求められているに過ぎない。著者や編集者との接点を開拓し、原稿なり紹介をお願いすることは編集者に求められる基本的なスキルであり、優れて実践的かつ効率的な選抜方法といえるのではないか。紹介状を要する事実をWebサイトで公表しており、社員だけでなく著者まで広げれば、多くの学生にとってアクセスする機会はあるはずで「公正な採用・選考に弊害がある」とはいい難い。
わたしは「公正な採用・選考に弊害がある」縁故採用、例えば仕事に要する能力水準に満たないと分かっているにも関わらず、幹部や取引先の親類縁者であることを理由に採用する慣行としての「縁故採用」には断乎として反対だが、社員の業務と明らかに関わりのある適性を把握するための取り組みは支持するし、従前からの慣行を公表できるよう制度化し、学生に対して広く門戸を開いた岩波書店の英断にはエールを送りたい。これを「縁故採用」と指弾されては、ますます隠微な「縁故採用」が跋扈するのではないか。