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就活する君へ―就活解禁が延びても社会との関わり方は早くから意識しよう

安倍首相が就活解禁を大学3年の10月から3月に遅らせるよう要請し、経済3団体のトップがこれを受け入れたとの報道があった。この記事に安心した学部3年生はまだ早い。合意は2016年卒、学部2年生からの話だ。それ以前にこの合意は民主的な手続きを経て決まったものではなく、法的拘束力はない。これまでの倫理憲章と同様に、これら経済団体に加盟する企業でさえ合意を尊重するとは限らないので注意が必要だ。
長期化する就活で学生が学業に専念できていないことは問題だ。特に修士なんか課程が半分も終わらないうちに就職活動を始めている。早めに内定を取れたって他の会社を受け続ける学生もいれば、なかなか内定を取れず就活を何十社も続け疲弊する学生もいる。各社で足並みを揃えて就活の開始時期を遅らせられれば、こうした時間の空費を短縮できるかも知れない。政府と経済界で問題の改善を模索する動きには素直に期待したい。
わたしはこれまで新卒一括採用を批判してきた。わたし自身、就活したことがなかったし、新卒を多くは採らない会社にいて新卒社員と一緒に働く機会に恵まれなかったし、個々人との面接に十分な時間をとらず大量の未経験者を採用する仕組みこそ学校歴重視の温床となってきたと考えたからだ。そして正直に白状すれば、就職に有利な大学に入れなかったひがみもあった。
しかしながらOECD諸国で比較して日本の若年失業率が低い理由の一つが新卒一括採用にあるとする見解には首肯できるし、就職できない若者が増えた背景は経済の停滞と4年制大学の定員拡大の影響が大きいし、いきなり即戦力重視・通年採用へと移行しようにも誰が新人を教育するのかという課題が残る。
かつて大学が企業の実務経験者を教員として迎え入れることで企業の新人教育を高等教育機関が肩代わりできるのではないかという期待もあって、10年ほど前から産学連携の取り組みが増えた。わたし自身そういう流れの中で、多くの大学で教鞭を執る機会をいただいている。しかしながら企業人として大学で教えられることと、仕事を通じて新人を教育すべきことは別で、学生が社会に出る前に世の中の仕組みや面白さの一端を伝えたり、多少は視野を広げる契機を提供することはできても、現場で使える即戦力を企業に送り出す役割まで担うことは難しいと考えている。
管理職として自戒を込めていえば、厳しい需給や学生の危機感につけこんで独創性や語学力などの能力を学生に対して過剰に要求しながら、現場配属後に独創性や語学力を活かす機会を提供できているだろうか。会社に足りないものを新卒に求めたとして、現場配属後にそうした能力を発揮できる環境を提供できているだろうか。矛盾や不条理があっても惰性で「社会とは、会社とはそういうもの」と流してこなかっただろうか。そうした矛盾を棚に上げて学生や大学教育に過剰な期待をしてもないものねだりだ。
入社後すぐに辞めてしまう若者について、その無責任さや飽きっぽさを批判する向きがある。わたしの周りにいる多くの新卒社員は優秀かつ真面目で辛抱強いし、入った会社を短期間で辞めた若者と話したこともあるが、中には人生を真剣に考え模索し決断した人もいる。キャッチーに報じられる断片的な若者像でステレオタイプに「最近の若者は」と決めつけていないだろうか。
もともと統計的に日本では20代の雇用流動性がそれなりに高く、30代半ばまでに腰を落ち着けるのが一般的だった。仕事だって男女関係だって幾度かの試行錯誤を経て落ち着くところに落ち着くともいえるし、30代後半からの転職が厳しいことの裏返しでもある。
話を戻すと現在の学部2年生(修士修了後の就職を考えている学生は学部4年生)は就活解禁の先送りによって半年近く長く学生生活を謳歌できるようになるだろうか?実のところ話はそう簡単ではない。グローバル企業の採用時期は国内経済団体の談合とは別のところで決まるし、そういった企業と競争している業種も厳しい選択を迫られることになるだろう。そもそも就活時期の制限というアプローチそのものが海外の大学で学び日本企業への就職を希望する学生のことを考えていないし、新卒雇用の需給に対しては中立でしかない。
長期雇用を前提に新卒採用数を雇用の調整弁にする限り、今年度こそアベノミクスに沸いて有利に就職できても、いずれ景気が悪化した年には再び大量の新卒者があぶれることになるだろう。この問題の本丸は就活解禁時期ではなく、4年制大学の定員や雇用法制の在り方にある。現政権はこういった問題にも高い関心を持っているようなので、本質的な議論が深まることに期待したいところだが、多くの教員や正社員の生活に直結しているので、そう簡単に結論を出すことは難しいのではないか。
結局のところ就活解禁が大学3年の3月へと後ろ倒しになったとしても、普段から学問や学生生活と向かい合う中で、自分が何に手応えを感じられるのか、どう社会に出るかを頭の片隅で考えておいた方がいい。好景気で有名企業に就職できるかも知れないし、不景気で新卒採用の門戸は狭いかも知れない。希望の会社に入っても期待外れで早く辞めるかも知れないし、希望の会社に入れなくても新たな生き甲斐を発見したり、次の活躍の場を見いだせるかも知れない。いま魅力的に輝く派手な業種が実は斜陽で、まだ不安定で小規模な業種がこれから大きく伸びるかも知れない。
新卒一括採用という仕組みは若年雇用を下支えし、民間資金で職業教育を提供する仕組みとして有効に機能してきたが、卒業年の景気によって需給が乱高下する点で決して公平とは言い難い。しかしながら戦後日本では、雇用の硬直性から優秀な人材が成熟業種に塩漬けされてしまいがちな中で、不況の時代に次世代を支える成長業種に優秀な新卒人材が供給され、社会変革の担い手となってきた面もある。例えば僕の同世代、就職氷河期で多くのベンチャー起業家を生んだナナロク世代もそのひとつだ。
就活解禁が遅れたからといって漫然と過ごしていては不況期には不運を嘆くことになる。学問や学生生活を通じて社会の鼓動に耳を澄ましていれば、実は仲間を募りやすい不運な世代ほど社会の変革に立ち会える可能性も大きい。そして僕ら上の世代には、高度成長期に形成された就活や労働市場の在り方を単に受け入れるのではなく、日本社会の成熟とグローバル化に適応したフェアかつ持続可能な構造へと労働市場を地道に改革する姿勢が求められているのではないか。

Inspired by 「就活する君へ―力をためる時間が要る」朝日新聞 社説 4/19朝刊