雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

関白失格・男女平等へ向けた過渡期の悩み

家計の財布はかみさんに握られる一方で,家庭内で男女平等を主張されるのは納得がいかない.家計を握られるならもう少々亭主関白でないと割に合わないし,男女平等というなら家計も分けるべきだろう.「確かにあんたは稼いでいるかも知れないけれども,役割分担してるんだから平等だろう」という理屈も分からないでもないが,平等といえるほど仕事の価値が等価なのかよく分からないし,そもそも役割として交換不可能なのである.
だいたい普通の若者が当たり前のようにNEETになってしまう時代に,ガキが調子悪くなる度に会社を休み,元気であっても飲み会が始まる前の時間には帰らなければならない環境で,まったく公平な競争など望めないのだから,別に「俺と同じように稼げ」とは全く思わない.が,こっちは仕事で評価されたりされなかったり,それなりの気苦労もあるのに,家事・育児にコミットしていれば持ちつ持たれつ,同じかもっと努力してるのよといわれても,ひとより家事・育児ちゃんとやってるかとか評価される訳じゃないじゃない?家事・育児とお仕事ちゃんと両立しているひともいるじゃない?という気もする.
いや,別に我が家の家事・育児に目標管理制度を設定すべきではないかとか,そもそも家庭内独占市場であるから競争が働かないのが問題なので,一夫多妻制にすれば解決するとか,そういう話ではないんだけど... 家族を例にするとイメージ的に分かりやすいので,そういう主張が馬鹿げていると誰の目から見ても分かるけど,市場主義のレトリックには,そもそも競争を持ち込めない,持ち込むことが適切ではないところに対して,競争がないのが悪いと主張して,独りよがりの検証されていない実験的な制度をでっちあげる手口が多い気が,っと閑話休題
周囲をみると育児とキャリアパスをがっつり両立している優秀な方々もいらっしゃるが,会社の福利厚生や職場環境が充実しているとか,かなり給与がよくてベビーシッターを頼んでも赤字にならないとか,親がリタイアしていて子育てを手伝ってくれるとか,そういう恵まれた環境にあると同時に,本人の資質というか,昼間の会議だけで仕事を回せるロールモデルを確立できているひとが強い.
ああいう優秀な人々をみていると,みんなそうなれるということはなくて,世の中そういう環境もある,それができるひともいる,という話であって,こんなに活躍しているひともいるんだから,世の中ちゃんと男女平等になりつつあるとか,機会は開かれてきたとか,そういうのはプロパガンダではないか.
例によって外側に対して犯人探しをすると,家庭の倫理と会社の論理とが交錯し,世間の常識と男女平等の思想とが並存するなかで,こんなに社会の本音と建前とが乖離してしまうと,子育てにどうコミットすべきか考えるのがとても難しい.お互い,中途半端な思い込みと理念を持ったまま,すれ違いが続いて消耗するのはあまり精神衛生上よくないのだけれども,社会で正しいと信じられているメッセージを繋ぎ合わせても矛盾だらけで,収まるところがなかったり,とてもハードルの高い例外的状況のような気がするのである.

と,考えのまとまりが悪く,みのもんた的に「そうはいっても,みんな似たような腑に落ちなさを感じながら,それぞれ折り合いをつけて生きてるんだから,世の中がいいとか悪いとか,自分にはどうにもならないことを考える前に,ちゃんとじっくりふたりでお話しして,労わりあいなさいよ」という世知の方が説得力があったりするんだけど,けれどもそういう分かったような話をして世に中に手をつけない人が多いものだから,そこに落ちない仲は子供をつくらなかったり,子供をつくったあとに離婚しちゃんだろうな,という気がする.もちろん,自分の直面する矛盾に,個人的に向かい合うことが大事なのはいうまでもないけれども...