僕らはいつまでPCを持ち歩くんだろうか
初めて持ち歩いたPCをよく覚えてないけど、たぶんDOS版のモバイルギアだった気がする。原稿書きには十分だったし、アナログモデムをPHSに繋いでメールのやり取りもできた。ほどなく東芝のDynaBook Portage 620も買ったけど2Kgちょっとあって持ち歩くには厳しかったし、電池の持ちも大したことはなかった。当時Windowsの開発環境は高価で、LinuxをノートPCに入れるとAPMとかXFree86の設定が大変だった。それでも初代VAIO Note 505を買ったときはAccelarated Xを買ってLinuxデスクトップ環境を構築した。それから会社の備品も含めれば20台以上のノートPCを持ち歩いたけれども、そろそろいつ自分がノートPCを持ち歩かなくなるか思案している。
いま会社に行く日こそSurfaceBook 2を持ち歩いてるけど、役所の登庁日や休日はスマホとiPadとPixelbookしか持ち歩かない。最近までPixelbookじゃgitを更新できないからというのがあったけれども、Dev ChannelでLinuxコンソールをサポートしてからは、ほぼコマンドラインで困ることもなくなった。Dockerとかk8sを使えないってのはあるけれども、そんなのはクラウドに任せればいいじゃんという話だ。
結局、自分をノートPCに縛り付けているのは古いPowerPointのファイルをG Suiteにインポートできないとか、Web版のOffice 365から自由に編集できないという実に些細な理由だ。白地からG SuiteなりOffice 365のWeb版で全ての資料をつくっていれば、縛られることなどないのである。今でもWeb DeveloperはMacBookを持ち歩いてることが多く、これはOfficeとともに開発環境、ことにXcodeでiOSアプリを開発する上ではノートPCが必要という話が残る気がする。MicrosoftがVS Onlineを提供し、Cloud 9がAWSで提供されるようになったけれども、遅かれ早かれGCPもCloud IDEを提供し、AppleもiOS開発環境のWeb化を進めるんじゃないかという気がする。
そうするとDesktop Productivityやら開発はほぼほぼブラウザで完結して、それでできないこととして残るのは、手元のネットワークのキャプチャーを行うとか、遅延に敏感でローカルGPU必須のゲームなりAR/VRの開発&プロトタイピングとか、ネットワーク機器のコンソールを繋ぐ的なハードウェア的に手元にあること自体に価値があるものが残るんだろう。まああとは懐古趣味かな。やっぱりキーボードとマウスがなきゃ困る、というセンチメントは僕にもあるし、たぶんもう卒業できないだろう。
子どもたちの間じゃキー入力よりもスワイプ入力の方が早いのが普通だし、遠からず音声入力が当たり前となって、もっと先には思念だけで入力できるようになるのかも知れない。日本のオフィスは大部屋だから音声入力が難しいとか、でもキーボードがうるさいのをみんな我慢してるじゃないかとか、そういう議論をすることになるだろう。
自分が70歳や80歳になったとき、マウスは計算尺のような扱いをされてそうな気がするし、キーボードが残っているかも微妙な気がしている。けれども自分は時代に追いつけず、相変わらずPCを自作したり、キーボードは静電容量無接点に限るとかやってるんだろうか?それとも手の動きだけでキーボードエミュレーションが働いたりするんだろうか。まあしかし、さすがになくなっていることはないだろう。ピュアオーディオくらいの趣味としては残っていて欲しい。プログラミング、ワープロ、表計算、プレゼン、この20年ちょっとの間に、だいたい同じようなソフトで同じようなことをやっていて、それが30年くらいのタームなのか、20年後には意外と道具から働き方から激変しているのか、ここ数年で大きな変化は始まってる気がするけど、まだ確証は持てない。