雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

無邪気にやってくる監視社会と失われた感受性

RFIDで子供の交友関係を把握しようという発想に触れて思い出したのは,かれこれ6年近く前に雑誌の取材で『社長失格』の板倉氏をインタビューした時,携帯電話の位置特定技術の話題で,ハイパーネットの倒産後にドコモへと移った元役員を引き合いに「あいつは絶対に俺の彼女を知っている」と力説されたことだ.ドコモほどの大企業で,業務上の理由なくデリケートな記録にアクセスできるとは思えず,一方で新しい技術がそういった不安を惹起すること自体には強く関心を持った.
携帯電話を持ち出すまでもなく,最近ならmixi等のSNSでリンク関係の変遷をみていれば,誰と誰がくっついた離れたといったことはある程度は捕捉できる.RFIDだけでなく,例えば地域SNSならぬ学校SNSっぽいシステムが遠からず普及して,リンクやメッセージ流量の推移を先生が見守るなんて時代が来ないとも限らない.けれども一方で思うのは,そうやってRFIDなりSNSで間接的な監視をせざるを得ないほど,子供たちの人間関係を先生が把握できなくなっているのだとしたら,そのこと自体が大きな問題でなかろうかと.
つまりRFIDで子供たちの交友関係を把握しようという発想の背景には,子供たちの交友関係を知りたいのに把握できていない,という現状認識がきっとある.けれどもそういった道具を介してしか分からない交友関係の歪みに気づけたとして,道具を頼らなければ交友関係を把握できないような教師に,状況を改善できるだけの対人関係能力があるか疑問なのだ.
何年か前のことになるが,女友達が彼氏にPCのセットアップを頼んだら,密かにメールを監視されていたという.そして他の男性とデートの証拠を掴まれて大喧嘩になったという.メールを盗聴しようという発想から隠微だし,盗聴したメールで鬼の首を取ったように彼女を糾弾した彼は人間性を疑われたし,そもそもメールを盗聴したことで二人の人間関係を巡って何らかの問題解決があったかというと,火種が増えて信頼関係が失われただけという気がする.
いずれにしても,RFIDで交友関係を追尾しようと発想した先生が,シレッと「生身の子どもと接することに集中」したいと語るところをみて感じるのは,既に失われてしまった感受性と,その欠落をITによるエンパワーメントで埋めようという構図だ.ITで感受性の欠如を補ったかにみえても,そこで生じるのは更なる感受性の麻痺と,更なるITへの依存という負のスパイラルではないだろうか.

立教小学校(略)の「登下校管理システム」は、ICタグを用いたセキュリティーシステムの草分けだ。(略)導入を進めた石井輝義教諭(情報科主任)は「動機は、どちらかというとセキュリティーよりも利便性にありました」と語る。(略)
「教師の仕事の一部を肩代わりしてもらうことで、生身の子どもと接することに集中できる」。今後はさらに、記録を時間順にソート(並べ替え)して仲良しグループを割り出す、長期欠席児童を把握するといった可能性を考えている。
―大内悟史, 「IT技術は小学生を守るか」, 論座8月号, p.130
この話を最初に聞いたときは「その発想はなかったわ」と驚いた。もちろん、「なるほどそういう使い方ができるのか」という驚きではなく、「本当にそんな使い方をしちゃうのか」という驚きだ。