雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

高速道路を疾走する作法

献本御礼。しかし佐々木さん、すごい勢いで上梓されますね。次は是非『3時間で原稿を片付ける私の方法』とか読んでみたいです。
さて私もだいぶ前に共著で『インターネットを使ったIT情報の検索テクニック (エーアイムック 255)』という本に原稿を寄せたことがあるが、ツールの使い方に偏っていた。さすが佐々木さんは話題の整理から絞り込み方、情報との出会い方など幅広く、そして記者の智恵も惜しげなく披露している。大学の教養課程でこの本を読んでいるか否かで、レポートや卒論で苦労する度合いが全く変わるのではないか。僕が大学に入る頃『知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト』なんて本が話題になったが、本書と比べると産業革命以前・以降くらいに違う。「ああインターネットは知識労働を根底から変えたんだな」と実感する。
タイトルが自己啓発本みたいで損している気もするが、書かれている内容は至って真面目である。ここでいう括弧つきの「専門家」とは、ネットでエンパワーされれば3時間でここまでできますよ、ということで、一種の知のコモディティ化である。だけれども肝心なことは、それで世界がフラットになり切ったのではなく、高速道路でかなり先まで到達できるようになったということであって、そこから先は徒歩なのである。だけれども、高速道路だって正しく目的地に近づくには疾走の仕方というものがあって、本書は素晴らしいナビとなるだろう。勝負はそこからだ、ということではないか。ここまで高速道路が延びても淘汰されない括弧なしの専門家とは、どうやって育つのだろうか。
ところで俄「専門家」となることは、論文を書かねばならない学生や記事を書かねばならないライターにとって焦眉の急だが、それが人生をどう豊かにするのか、どこで高速道路を疾走し、或いはどこで徒歩すべきか、という人生の智恵のようなものについて、本書は触れていない。確かに、それはまだ時期尚早である気もする。何せインターネットや検索は確かに知へのアクセスをコモディティ化したけれども、それによってバランスの変わった世界に、どのような生き方があり、そこでどのような競争が行われているかについて語るには、今はまだ過渡期で時期尚早なのだろう。
"Joel on Software"が警告するように、何でも買える時代であるかに見えて、競争力の源泉となる価値は手っ取り早く市場で手に入れようにも差別化できず、何かしら価値の源泉となる領域を自分で地道に実装する必要があるのだろうが、では知識労働の世界で何を地道に実装した奴が生き残ったかは、時の洗礼を待つ必要がある。今の論壇を支配しているのはGoogle時代の知性ではなく活字の時代に取った杵柄で生きている連中だし、Blogsphereを見渡しても混沌としているというか、時間や社会の洗礼を受けているとは言い難い。流動性や双方向性を通じて、マスメディアと違った淘汰圧が働いていることは確かだが。
そういう意味でも、ここまでの「専門性」はコモディティなのだ、という本書の立ち位置は、一見お手軽にみえて、ライター風情の自分を含め知識労働者を僭称する人々に対し、かなり過酷な現実を突きつけているようにも感じた。