雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ブログ的不安と矜持

毎日RSSリーダーで数百件の記事を読む。そのうちいくつかに反応してブログエントリを書くんだけど、そんなことばかり続けていて大丈夫かと不安になる。結局のところブログってフローの情報で、条件反射的に書く自分のブログもまたフローの漠とした印象論でしかない。
積み上がらないし、矛盾しているし、膨大なガラクタに過ぎないのかも知れない。時には人々を励まし、建設的な議論を惹起し、あとから読むに耐える文章もあるとしても、多くのエントリはその時期のコンテクストに依存し、なぜそんな細かいことにこだわっていたのか不思議になることもある。個人的な日記だってそういうものだが、日記と違って他者の視線を前提に書いているし、ホッテントリに入るか一喜一憂しながら書いている分、余計に足を取られる危険を感じる。
このところ特にそういうことを考えるようになったのは、自分の言説があまりに典型的であることに気付かされたからだ。ひとつはYahoo!ログールを入れて当ブログの読者が30代男性・大都市圏に非常に偏っていることを知ったことで、まぁ覚悟していたけれども思った以上に偏っている。これはYahoo!ログールにプロフィールを登録している層が大きく偏っている可能性もあって、是非ともYahoo! JapanにはYahoo!ログール利用者全体の属性を公開いただきたいところだが、恐らく僕のブログはそれに輪をかけて偏っているだろう。
もうひとつ最近、中退した高校の同窓会なるものに初めて飛び入り参加したのだが、このブログを読んでくれているひともいたし、まあ、話していても世の中に対する捕らえ方が非常に近い。あぁ、俺みたいな考え方って同世代男性・都市在住じゃ非常に典型的な考えなんだろうなー、そりゃそうだよなと腑に落ちた次第。
それは必ずしも悪いことじゃなくて、同時代・同世代の空気をうまくコトバにしつつ、個々の認識や論理で如何に地に足の着いた視点で普遍性を獲得していくかが重要だと思うんだけれども、自分の皮膚感覚が自分の置かれている環境に強く依存した状況特殊的なものだという自覚は、持って持ちすぎることはないように感じる。
特にホッテントリとか、だいたいブックマークを理解して使いこなしている層が非常に限られている訳で、はてブばかり意識してホッテントリに最適化されたエントリばかり書いていると、足元を掬われるんだろうなと。まあブログではてブを意識しているだけで、それはそういうゲームなんだし、それはそれでアリだけどさ。
僕がマスコミをマスゴミと安直に謗れないのは、僕自身がライターとして小銭をかせいでいることもあるけれども、結局のところホッテントリ最適化された言説も、マス最適化された言説も、同じように相手に理解できるように言葉を選び、直交的に理解できるところへ世界を捨象しているだけのようにも思えるからだ。
そういう意味じゃネットを批判して年寄りの歓心を得ることも、マスコミを批判してホッテントリ入りを狙うことも、結局のところ目くそ鼻くそじゃね、という諦観がある。だから悪いって話でもなくて、ベタで書くことの多い僕としては、そういった諦観の中で如何に刺さるコトバで立論の普遍性を志向していくか、という葛藤もある。ブログもマスコミも同様に、ウケを意識しつつ葛藤を如何に保ち続けられるかという孤独な戦いに直面しているのではないか。