赤木論文から絶望を検知するソフトは民主主義の敵
けれど赤木さんはテロを予告していないし、essaさんと会っても襲わないだろう。それが象徴としての赤木さんであったとしても、たぶん襲わない。赤木論文はその点でエキセントリックだし、極めて論壇的なブラフである気もする。それが悪いとは思わないし、論壇そのものが団塊世代的で、赤木論文がその中で如何に受容・消費されてきたか、ということは、もう少し考える必要がある。
続きを読む自分は救いを得られることがないと絶望した人間を救うには、彼を「検知」するより、彼が救われるような場なり手段なりを用意した方がいい。そうすれば、加藤は自分から名乗り出てくるだろう。
加藤を救うことは困難である。それはよくわかる。でも困難だからまず加藤を「検知」するソフトを作れという話なのだろうか。
(略)
そんなソフトがもし本当にできたとしたら、まず、この書き込みをテストデータとして入力してみたい。これだけ深い絶望を表現している書き込みに反応しなかったら、そのソフトは役立たずだ。