雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

赤木論文から絶望を検知するソフトは民主主義の敵

けれど赤木さんはテロを予告していないし、essaさんと会っても襲わないだろう。それが象徴としての赤木さんであったとしても、たぶん襲わない。赤木論文はその点でエキセントリックだし、極めて論壇的なブラフである気もする。それが悪いとは思わないし、論壇そのものが団塊世代的で、赤木論文がその中で如何に受容・消費されてきたか、ということは、もう少し考える必要がある。

自分は救いを得られることがないと絶望した人間を救うには、彼を「検知」するより、彼が救われるような場なり手段なりを用意した方がいい。そうすれば、加藤は自分から名乗り出てくるだろう。
加藤を救うことは困難である。それはよくわかる。でも困難だからまず加藤を「検知」するソフトを作れという話なのだろうか。
(略)
そんなソフトがもし本当にできたとしたら、まず、この書き込みをテストデータとして入力してみたい。

これだけ深い絶望を表現している書き込みに反応しなかったら、そのソフトは役立たずだ。

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「加藤の乱」を平成の血盟団事件にしないために

天漢日乗のエントリによると、アキバ通り魔事件は「加藤の乱」と呼ばれつつあるらしい。あれはテロではなく単なる通り魔だし、まぁテロも通り魔も自意識を持て余した青年の吹き上がりという点では大差ない訳だが、あまり持ち上げると便乗犯を招くんで過剰な意味付けは避ける必要がある。という訳で、アキバ通り魔事件はテロじゃないし、あれを以て剣はペンよりも強しなんて結論づけちゃ、まずいだろ。

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