雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

赤木論文から絶望を検知するソフトは民主主義の敵

けれど赤木さんはテロを予告していないし、essaさんと会っても襲わないだろう。それが象徴としての赤木さんであったとしても、たぶん襲わない。赤木論文はその点でエキセントリックだし、極めて論壇的なブラフである気もする。それが悪いとは思わないし、論壇そのものが団塊世代的で、赤木論文がその中で如何に受容・消費されてきたか、ということは、もう少し考える必要がある。

自分は救いを得られることがないと絶望した人間を救うには、彼を「検知」するより、彼が救われるような場なり手段なりを用意した方がいい。そうすれば、加藤は自分から名乗り出てくるだろう。
加藤を救うことは困難である。それはよくわかる。でも困難だからまず加藤を「検知」するソフトを作れという話なのだろうか。
(略)
そんなソフトがもし本当にできたとしたら、まず、この書き込みをテストデータとして入力してみたい。

これだけ深い絶望を表現している書き込みに反応しなかったら、そのソフトは役立たずだ。

essaさんが指摘しているような、犯罪予告検知よりも社会的な受け皿づくりだろ、というのは本当にその通りで、はしごたんの構ってエントリにまで警察が振り回されているのをみて、こんなことずっとやってると行政コスト馬鹿になんねーだろ、とか考えさせられる訳だ。がさつな警官じゃなくて、民生委員か何か寄越せよという気もするけど。まあ、こんな風に3ヶ月でも半年でも徹底的に確認すれば、軽い気持ちでブログや掲示板に死ぬだの殺すだのと書く阿呆は少しは減るだろうから、今は過渡期なのだろう。
で、政府は犯罪予告を「検知」するソフトをつくるべきなんだろうか。哲学的には難しいというか、少なくとも自殺予防は警察の仕事じゃないよな、と思う。で、犯罪予告の方は、犯罪被害者が出た後に、実はネットで予告されていました、という話が行政機関として具合が悪いし、何か再発防止策を打たねばというのは分かる。
問題はさじ加減で、あからさまな犯行予告について機械的に検知するのと、映画「マイノリティ・リポート」のように犯罪予備軍を炙り出して犯罪が起こる前に捕まえてしまうというのでは大きく異なる。あからさまな犯罪予告について、警察など関係機関が迅速に対処するための検知システムを作るのは論議を呼ぶほどの問題じゃないし、そのシステムが何ら犯罪を予告していない赤木論文を検知してしまっては使えない。
残念ながら世の中はずっと先へ行っていて、gmailhotmailで大統領暗殺の謀議とかをしていると、全て蓄積されて米国諜報機関がアクセスできるようになっている。Protect Act 2007が生きていた今年2月頃までは令状なしで覗き放題だったし、今もFISAに基づいて令状があれば盗聴できる。これはテロ対策とか幅広い米国国益が対象だから、明示的な犯罪予告だけでなく、あらゆるテロの謀議・準備が監視対象となっている。しかもブログや掲示板といった公開情報ではなくメールに対して。つまり君がgmailhotmailでbombやpresidentとか物騒なことを書いていると、或る日突然、米国に入国できなくなっているかも知れないよ、というお話。これはSFではなく、いまここにある現実だ。気に食わないけれど。
正直なところ明示的な犯行予告について効率的に検知できる仕掛けができるのは一向に構わないのだけれども、これが踏み込んで犯罪予防のためにあらゆる電子データを活用することが公共の福祉に適う、という議論にすべきではない。あくまで役所の面子のために、直接的かつ目地的な犯行予告に対して、最低限の公開ネット監視をしますよというレベルに止める必要がある。
先に書いたように米国にサーバーを置いているメールサービスで米国人以外の利用者に関する情報は既に法的には米捜査機関に対して筒抜けだし、ニューヨーク州では州法で性犯罪者がSNSに登録できないようにするなど、データベースを使った犯罪予防は実際に法制化されつつある。これは基本的人権や諸々と絡んだ非常にセンシティブな議論なのだ。携帯電話の位置情報を溜めれば、移動履歴から潜在的犯罪者を割り出すことだって難しくないかも知れない。それで人命を救えたかも知れない時、それでも、そういった監視はすべきではないと、どういう論拠で主張すべきだろうか。
公衆に対する犯罪予告を迅速に検知することと、犯罪予備軍の絶望や情動を検知することの政治的意味は全く異なる。仮に政府が犯罪予告検知技術に取り組むとしても、まず前者に踏み止まるべきではないか。それも予告.inのような民間に委託できれば、それに超したことはない。後者に踏み込むことを求める政治的圧力は継続的にあるだろうが、そのことの哲学的意味を十分に議論することが重要だ。少なくとも赤木論文から犯罪への意志を斟酌するソフトは民主主義や言論の自由の敵ではないか。