雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

サイバー・リバタリアニズムとWinny事件

アナーキズム』を読みながら,Winny事件に対する一部エンジニアのセンシティブな反応は,束の間の海賊版ユートピアと,それを防ぐ方法がないことに依拠した安易なサイバーリバタリアニズム,それが支えていた彼らの自尊心を,官憲による作者逮捕という基本的な強権発動が見事に粉砕してしまったことにあるのではないかと考える。技術は確かに制約条件を変えはするけれど,他の権力を必ず頭越しにできる訳ではないのだ。もちろん,言論弾圧に対して「言論の自由など,そもそも最初からなかったのだ」としたり顔で傍観者面することに意味があるのかといわれると詰まるけど... 現行憲法でいう表現の自由に,わたし自身はコーディングは含まれないのではないかと思う。何故ならコードはひとに伝える内容であるだけでなく,それ自体が物理的な方法となってしまうからだ。著作権法だけでなく,憲法も古くなっている...いや,ポジティビズム的な法運用と,明文法との相性が悪いのだろう。