雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

わたしのチープ革命

記者志望だった僕はたぶん,チープ革命の恩恵を最も早く受けた部類ではないかと思う.当たり前過ぎて忘れてしまいがちだけれども,活字の世界は最も早くチープ革命の洗礼を受けた.もしネットがなかったら,人生に不器用で学歴も高くなく,なまじプライドは高い自分のような人間は,きっとNEETか,限りなくNEETに近い出版奴隷にでもなっていただろう.
Webサイトやblogで簡単に書き物をしてフィードバックを得られるということもそうだけれども,それ以上に情報収集手段による媒体の特権性がなくなったことが大きい.昔だったらプレスリリースを一通り集めるだけでも,マスコミでなければ大変な手間だった.殊に海外事情などはなおさらだ.分析も何もせずとも,特権にあぐらを書いて,投げ込みのプレスリリースを適当に要約して,記者クラブに出入りしたり適当にリークを受けていれば,立派な記者サマになれた訳だ.
逆にどんなに能力があっても,情報量と入手コストが異なる時点で,同じ競争の土俵に立つことはできなかった.記者になりたいという僕に,中学・高校の先生は「東大の新聞研か早稲田を目指すといい」といった.いま考えると浅はかな進路指導だし,先生は先生で先生しかやったことなくて世間知らずだったのだろうけれども,今となっては信じがたいことに,確かにそういうリアリティーが,ほんの十年ちょっと前まであったのだ.
日本でネットが爆発的に流行った1995年,ぼくは大学に落ちて予備校生だった.夏ごろから秋葉原にあるソフト会社ショールームに入り浸り,コーヒー片手にWebばかり突くようになった.毎日のように山ほど海外の最新ソフトをセットアップしているうちに,ぼくにしかデモのできない環境が着々と蓄積されていった.
そのショールームは得意先にネットの最新事情を紹介することにも使われていたから,いま考えると不思議なことだけれども,ショールームのスタッフや営業さんが「謎の予備校生」に顧客向けのプレゼンを頼むようになっていた.海外のサイトで仕入れた最新情報を必死に話しているうち,自然と僕に仕事を出したいというヒトが現れ,けれども仕事を出すと勉強しなくなるということで,大学が決まるまで誰も仕事を頼まないという就職協定ができた.
お陰で大学進学が決まると同時にライターや開発補助の仕事にありついた.憧れのライターは実際には退屈で,どんなに先を見通した記事を書いても原稿料は変わらず読者からの反応も鈍かった.1996年2月の時点で,ブラウザ戦争にフォーカスしてデスクトップ統合も踏まえつつマイクロソフト侮りがたしという指摘をしたのは,我ながら,かなりいい読みだったと思う.
ぼくは単価切り上げの見通しと手応えのある読者を求めて,ライター仕事は片手間にコンサルに傾倒し,自分ひとりで頑張っても失敗できないから下らない仕事しか請けられないというのでは先が知れていると考え,当時はエッヂの効いていたネットベンチャーに入社した.そこに入ってからも新聞記者の夢は諦めきれず,大学ではみんなが就職活動している時期に,ぼくも有給を取って新卒として採用試験を受けてみようかと悩み,そのときたまたま系列の雑誌社でライターの仕事をしていて編集長から「受けるんだったら紹介してやろう」とまでいわれていたのだけれども,新宿ゴールデン街で飲み歩いて記者連中や編集委員論説委員に話を聞いてみると「どんなにスキルがあっても10年下積みをさせられて,好きなことを書けるようになった頃には目が死んで,書きたいことなんかなくなってるよ」「ITの世界でちやほやされてるんだったら,そっちの方が儲かりそうだし好きにできるんじゃないの」と諭され,思い留まった.いや,婉曲に「君には向かないよ」といわれていたのかも知れないし,ITバブルの最中,この業界が過大評価されていたのかも知れないけれども.
いずれにしても,僕は東大にも早稲田にも入れなかったけれども,大学が決まるなりライターになれたし,入ろうと思えば新聞社に入れたかもしれない.そこまでチャンスを与えられたのは,自由に情報を入手できるネットによってエンパワーされ,自分の情報収集・分析能力を周囲のヒトからフェア或いは過大評価されたことが発端なのであって,それを可能にしたのは情報入手コストに対するチープ革命だった.2年ほど前に,新聞記者出身のライターさんと飲んで,昔はどの組織に所属していたか,どの媒体で書いていたかが初めて仕事を頼んでくる編集者から振られる話題だったけれども,最近は自分の名前で検索して上位で引っかかってくる記事を読んでの話題が多い,という話になった.
組織が重要だったのは,どの組織にいたかによって手にできる情報やリテラシが違っていた時代,相手の個別の記事にアクセスするコストが充分に高く,第三者による権威付けが必要だった時代の産物に過ぎない.これからは経歴よりも何を書き,何を行い,ひとからどう評価されているかに直接アクセスされ,それによって人生の可能性が大きく変わってくる時代に入った.
寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々には世知辛い世の中になったのかも知れないけれども,少なくとも僕にとってはフェアな競争が約束され,人生の幅も大きく広がった.チープ革命の進展は,活字やIT・放送・通信だけでなく,もっと幅広い範囲で無意味な障壁を崩していくことになるのだろう.それは一部の特権階級にとっては悪夢だけれども,才能ある疎外された人々と多くの消費者にとっては朗報のはずである.

そして、この方向がさらに極められていく「次の十年」は、ITに関する「必要十分」な機能のすべてが、誰でもほとんどコストを意識することなく手に入る時代になる。