雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

英語教育の変遷

コミュニケーション重視は,ごく最近のことですね.戦前の英語教育なんか,まさに学習と理解のための英語でしたし,それによって富国強兵,殖産興業を成し遂げた訳です.戦後も受験戦争華やかかりし時代までは,コミュニケーションに使えない,学習や理解のための英語を教えようとしていた訳です.それは清水さんが主張するような,まさにキャッチアップのために国策として必要だ,ということでした.
たぶん,詰め込み教育と批判されて実用性を重んじるようになったと思うのですが,これは大半のひとは,原書をあたらなくてはならないほど専門的な仕事には就かないし,教養主義的なことをやっても,それが人生で役に立つというリアリティを提供できなくなったからでしょう.難しい原書を読む機会にはリアリティを感じないけど,海外にいって話したりナンパしたり,というのはもう少し身近なので.
僕は正直なところ,一生フリーターでいるような奴まで含めて,そんなに英語が必要か?と思います.寧ろ,一握りのエリートについてだけ,徹底的に英語漬けにすればいいと思う.それも文法とか英文学で教えるのではなくて,そいつの専門領域で全て英語で教えられるのが理想.そうすれば,その後も自分の専門領域について,ちゃんと海外の論文とか当たるようになるし.(つづく)

日本の英語教育はコミュニケーションのための英語であって、学習や理解のための英語を教えていない