雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

IT業界に於ける人材戦略の背景・序

d:id:mkusunok:20060501:empの続き.なぜIT業界で技術者は使い捨てられがちなのだろうか.例えば自動車産業では今なお技術革新が進んでいるが,現代自動車をはじめとした韓国・中国から追い上げられつつも,今のところトヨタなど各社は終身雇用を堅持している.この違いはどこから来るのだろうか.
自動車は成熟産業で,IT産業は勃興期にあるからだろうか.しかし日本の自動車にせよITにせよ,民生市場が大きく育ったのは同じく戦後であって,自動車メーカーと,大手ITベンダとで,歴史の長さにそう大きな違いがある訳ではない.
ひとつ違うとすれば日本の自動車業界はノックダウン生産を請け負った時代からGMの背中をみて,GMは売上高*1ベースでは世界のトッププレーヤであるのに対し,コンピュータの世界でFNHともにIBMの背中をみていたのが,この業界では時代の寵児がDEC, Intel, Microsoft, Netscape, Googleと,めまぐるしく移り変わったことがある.
FNHはMicrosoftにもGoogleにもなれなかったが,IBMだってMicrosoftにもGoogleにもなれなかった.少なくとも汎用機やスパコンの性能ベースでは,富士通は80年代にIBMを超えていた,という見方もできる.IBMにもFNHにも,非常に優秀な熟練エンジニアが山ほどいる.IBMが終身雇用を止めたのはガースナーの就任した10年ちょっと前,FNHやHPは数年前だから,日米ともにコンピュータ業界にも,少なくともつい最近までヒトを大切にする会社だってあったのだ.
IBMで終身雇用を捨てたガースナーも,HPで終身雇用を捨てたフィオリーナも,MBA出身で数多くの企業を渡り歩いてきた.終身雇用・年功序列墨守していた会社で生え抜きではなく彼らがCEOとなったのは,経営が悪化したからである.一部のITベンダでは経営者こそ生え抜きでも,やはり「失われた10年」の間の経営悪化が従来型の年功序列・終身雇用を見直す引き金となったのだろう.
ヒトを大事にするか否かという議論をすると,とかく企業理念とか経営者の背景などに関心が行きがちだが,少し引いた視点で眺めてみると,結局のところヒトを大切にする会社が立ち行かない業種では,ヒトを大切にする会社は買収や倒産などのかたちで淘汰されるか,淘汰される前に変わり身を余儀なくされるのではないだろうか.
文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』には,自然を再生可能な資源として捉える企業・社会と,採掘の対象として捉える企業・社会が登場する.そして再生しない資源である鉱物,化石燃料などを扱う企業の中でも,自然を蹂躙する企業もあれば,自然との共存を真剣に考えている企業もある.この著者の分析が秀逸なのは,こういった環境保護に対する企業姿勢の違いを,単なる経営者の人格や経営理念として捉えるのではなく,背景に経済的基礎条件があると喝破する点である.
まず化石燃料を扱うグローバル企業の多くが環境問題に真剣に取り組んでいるのに対し,鉱物を扱う企業の多くは環境問題にできるだけ頬被りし,偽装倒産など様々な手法を駆使して責任逃れをしている.これはサプライチェーンが短く,プレイヤーの数が限られていて,油井の埋蔵量や性質は予測可能で,資本力があり,不買運動などのリスクが高いが環境対策費用を製品価格に転嫁しやすい化石燃料に対し,鉱物事業ではサプライチェーンが長く消費者によるピンポイントの不買運動のリスクは小さいものの,資本力が弱く,鉱床の性質や規模を見積もりにくく,鉱質は移ろいやすく事業の見通しが不透明で,環境対策費用を製品価格に転嫁しにくく,社会的責任を極力回避した方が合理的だというのである.
この対比はIT産業にも同じように適用できるのではないだろうか.人材を学習可能な自律的存在として捉えるか,採掘と搾取の対象として捉えるのか.これは企業理念の問題であると同時に,産業構造とインセンティブ・メカニズムの問題でもある.
例えば先程の例をパラフレーズすれば,サプライチェーンが短ければ,人材に対する企業姿勢が消費者や社会,学生を送り出す大学などから問われるけれども,サプライチェーンが長ければ,そういった風評リスクを気にする必要がない.中長期的に見通しの立った事業であれば人材育成に投資するインセンティブがあるけれども,経営者自身が一か八かという姿勢であれば,採掘消耗型の人材戦略を取ることが確かに合理的ではある.重層的な下請け構造を抱えた情報サービス産業や,一攫千金狙いのネットベンチャーで,人材が使い捨てられる所以である.
本書では様々な滅びた文明,環境を破壊する企業だけでなく,生き延びた文明,環境と共存する企業を後半で取り上げ,事態は決して決定論的ではなく,過去の失敗や成功例に学ぶことで,改善可能であると論じている.
例えばネットベンチャーでも(ある時期以降の)ライブドアのように,MSBCで既存株主を犠牲にした資金調達を行い,様々な会計上のトリックで時価総額極大化経営を目指す例もあれば,「はてな」のように,ヒトを育て文化を発信しながら,持続可能な経営を指向する例もある.情報サービス産業でも,優秀な人材を採掘して無茶な人月単価で勉強する時間を与えずに使い潰す企業もあれば,ワークロードを調整してヒトを育てつつ働かせる企業もあるのだろう.
僕も本書を見習ってIT業界の一部で蔓延る悪い風潮ばかりにフォーカスして批判するのではなく,似たような経済的基礎条件にあって,それぞれに企業理念や置かれている状況の違いから,ひとを大事にする企業もあればそうでない企業もある中で,どうすれば人材を学習可能な自律的存在としてエンパワーできる企業として生き残っていけるのか,ひいては,そういった企業を指向するインセンティブをどうやったら社会的に高めうるのか,といったことを考えてみたい.

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

*1:利益や投資余力ではなく