雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

デジタル家電の進化にみる「いつかきた道」

そろそろ結婚した時に買った平面ブラウン管テレビが6年くらい経ち,薄型テレビを買おうか悩み始めた.今日も家族で歩いて近所のヤマダ電機に行ったのだが,店頭は価格.com常連のバッタ屋はともかくAmazonより高いし,僕の考えている15万円程度の予算だと,32V型の液晶テレビがせいぜいで,来年あたりにはフルHDで1080P対応のHDMI端子が2つになってIPTV対応になったものが似たような価格で出てるんだろうなとか考え始めると購入に踏み切れない.
ところで今秋のニューモデルをみていると,各社とも自社のHDレコーダ等との連携に力を入れているようだ.この分野はHAViやDLNAなどSONYが開発では先行していたものの,店頭では松下のVIERA Linkが受けていたのが,ここへきてSHARPなど他の各社が追随してきた.デジタルだから連携してなかったことが不思議なのだが.
問題は各社ともこれらの機能をセット販売の切り札と位置づけていることである.動作確認の労を考えると仕方ないことではあるが,IEEE1394にせよUSBにせよ各種メモリカードにせよ,デジタル家電を構成するインタフェースがPCに似ているにも関わらず,全くPC的なオープンさがない.
例えばイマドキのデジタルテレビ上位機種はチューナーを2つ持っている.2画面対応のためであるが,さらに上位機種ではHDDを抱いて録画機能を持っている場合もある.パソコン的な発想ではHDDなしモデルでも後からUSBやi-LinkでHDDを繋げば録画機能が有効になるとか,DVDドライブを繋げばDVD-Rを焼けるとか,そういう機能は当然のようにつけるのではないか.そもそもHD録画ではHDD容量が明らかに足りていないにも関わらず,増設の手段が提供されていない.
これは別に昨今のデジタル家電に始まった問題ではなく,昔のパソコンだってそうだった.PC-98シリーズが独自アーキテクチャで高値のままシェアを維持してきた話は有名だが,他にもFDDフォーマットや周辺機器など,NECに限らず自社ハードウェアしかサポートしない姿勢が蔓延していた.諸外国より数世代も遅い機種を高値で売り,文句をいっても「市場の要求はここまでですから」とツッケンドンであった.
この流れを変えたのがDOS/VWindowsの登場で,これらによって日本語ソフトが世界中どのパソコンでも同じように動くようになった途端,非関税障壁に守られていた日本のパソコン市場は激変し,これまで国内市場の超過利潤を甘受していた国産各社は,流れに追随できず生産を台湾や中国に移した.
しかるにデジタル家電業界が最も懼れているのはデジタル家電の市場がパソコンのようになってしまうことである.即ち利益がキー・コンポーネント・ベンダと流通業者に集中し,低い利益率に喘ぐ構図.それを防ぐために独自方式,独自の著作権管理システム,他にも様々な技術的・政治的な非関税障壁を用意して,国内市場を保護してきた.監督官庁もそういった動きを後押ししてきた.
いまの戦い方で勝てるなら,そういった垂直統合路線もひとつの選択ではある.液晶やプラズマパネル,映像エンジンといったキー・デバイスを握ることで,コモディティ化を避けようという戦略も,パソコンでの教訓を生かしているのかも知れない.
とはいえ端から眺めていると1980年代パソコン市場のような香ばしさを感じつつある.あの時代だってDRAMやCPU(V-30),TFT液晶といった何れのデバイスも自前でつくってはいたのだ.問題は国内の過当競争に現を抜かし,製品セグメントや利用シナリオ自体をどう進歩させていくかという視点が欠けていること,そして短期的なビジネスのために,技術的には可能な消費者にとっての価値から目を背け続けてきたことだ.例えば意味のない非互換性や,周辺機器の純正チェックのようなかたちで.
とはいえデジタル家電は国内主要ベンダが世界市場でみてもキー・プレーヤである点で往年のパソコン市場と大きく異なる.ヘッドフォンステレオ市場でiPodという伏兵にやられた時のようなことのないよう,オープンな攻めの戦略で勝ち抜いて欲しい.デジタル家電の利用シナリオというと家電メーカーだけの問題ではなく,通信事業者やコンテンツホルダ,規制当局などの動きも重要となるのだけど.