雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

技術大国日本を育み押しつぶした国家総動員体制の亡霊

歴史さえ尊重していれば非論理的で献身的な技術者が大切にされ技術は継承されて,日立製作所のタービン設計ミスのようなチョンボは防げたのだろうか.このようなid:essa氏の視点こそ微視的で,歴史を踏まえていないように感ぜられる.
戦後の日本は戦前の軍需産業の遺産を継承し,裁量的な行政を通じて経済効果の高い産業に資源を集中投下し,役所が企業間の情報を適度に媒介することで,過当競争による情報の縦割りを緩和することを通じて全体を底上げするかたちで成長してきた.
戦後の開発主義は国家総動員体制を温存するかたちでGHQ支配下の傾斜生産方式にはじまり,超LSIプロジェクトでその頂点を極め,予算削減でジリ貧となりつつも,手法としては最近の愛知万博前後のロボット振興や,来年度予算で概算要求された情報大航海にも通底している.
真似すべき相手が明確だった1970年代まで,この手法は極めて有効だった.技術者を量産し,欧米のリーディング・テクノロジーを短期で内製化し,生産技術の洗練によって低コスト化・高品質化しつつ,国内での過当競争を通じて機能・品質での差別化を促しつつ,役所が超法規的に技術情報を融通することによって技術水準の全体的な底上げを図った.
この思想の背景にあるのは,付加価値を産む上でのボトルネックは資本と技術を掛け合わせたところの生産力にあり,規制を通じて生産者余剰を最大化することによって再投資を促そうとする発想である.第二次大戦に於ける総力戦の発想を,冷戦下の経済戦争に持ち込んだのだ.このパラダイムの下ではメーカーが資本調達に苦労しなくなり,技術水準で欧米に肩を並べることは想定されていない.
けれども1980年代以降に起こったことこそ,資本余剰と産業分野でみた技術力の拮抗である.1980年代は製造業にとって収穫期であった.スーパーコンピュータの性能で米国IBMを超え,省エネブームで自動車の世界シェアも高まった.真っ当な商売をしている製造業は資本市場から直接資金を調達できるようになり,銀行の手元に残った余剰資金は不動産業などに投資されて80年代末から90年代初頭にかけてのバブルを生んだ.
この時期に就職した世代は,理系技術者は企業に留まって程々の年功賃金に甘んじる一方で,銀行やサービス産業で文系はバブルに踊った.会社のカネで遊べるのは営業やマーケティングなのだ.技術はカネで買ってくればいいから,正社員たるもの技術の仔細など分からなくていいから,新しい商売をつくることを考えろという教育を受けた.
この世代で大手SI事業者に就職した文系SEには実に使えない奴が多い.自分で手を動かすことなく,案件の采配しかしたことがないからではないか.こっちが技術的に詰めようとすると,ひと通り威張り腐った挙句,ハッタリが通じないと分かった途端に尻を捲って逃げるのだ.けれども,その手の奴が手を動かす技術者よりもおいしい思いをした時代がバブルだ.金余りの余波で,技術者や医者よりも派手な生活を誇る資産家層や文系エリートが脚光を浴びた.僕は当時まだ小学生だったが,小学校の先生までニューリッチ・ニュープアという言葉について授業で説明していた.
よきにつけ悪きにつけ戦前から最近までを通じて技術者や医者が献身的であったのは,それが苦しくとも,社会的地位が高く,周囲から尊敬されていたからではないか.けれども欧米に追いつくために過剰に量産された技術者は,日本が追いつく相手を失った途端にコモディティ化してしまった.それでも暫く企業内で温存されたが,バブル崩壊後に総合電機メーカーの業績が下振れする過程で徐々に冷遇された.右肩上がりの成長を望めなくなったことに気づいた経営者たちは,人材流動化を称揚し,格差社会の礎を築いた.
このように,技術者が富の源泉と崇められたのも,文系バブル世代がもてはやされたのも,結局のところ戦後史に於ける因果の一断面に過ぎない.戦後の日本がどのように発展していったのか,と問われれば私は,戦中の国家総動員体制に於ける行政・産業構造を経済発展に転用し,経済的に米国に追いつくところまでは成功したが,その後の戦略を持ち合わせていなかった,或いは転換に失敗したのだと答える.
もし歴史というものを尊重し,心ある技術者が報われる新たな技術大国日本を構想しようとするのであれば,連綿と続く国家総動員体制の亡霊こそ克服すべきだ.これこそ小泉首相がぶっ壊した列島改造論・経世会支配よりも歯応えのある亡霊ではないか.

歴史というものを尊重していれば、戦後の日本がどのように発展していったのか、そこにどのような葛藤があったのか、自分の内部の問題として感じとれたはず。
戦後の日本には、非常に非論理的で献身的な技術者や医者がたくさんいたのです。彼らの成果だけをかすめとって、彼らが非論理的で献身的であったことを笑う文化を作ったのは誰でしょうか?
非論理的に論理のかたまりである技術というものを扱う彼らの中にあった葛藤を、社会全体で背負うべきであったのだと思います。