雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

Web2.0を疑え

(このエントリは近日中に予定されている講演の草稿です.事実関係や認識に誤りを見つけた方は,是非コメント欄や電子メール宛で指摘いただけましたら幸いです)
この場の目的のひとつは,これからのIT産業がどうなっていくかという点について方向性を探り,どのような新しい市場が生まれる可能性があるかを洗い出すことと理解しております.しかし,そもそも未来を予測することは難しいのであります.1947年,IBMのThomas Watson Jr.は「世界には5台近くコンピュータ需要があるだろう」と宣いました.ミニコンで一世を風靡したDECのKen OlsonはApple ][の発売された1977年に「家庭がコンピュータを必要とするとはとても思えない」と述べています.1981年にMS-DOSを発表したBill Gatesは「将来的にもパソコンのメモリは640KBもあれば充分だ」といいました.彼がこの発言をした当時,ムーアの法則を知っていたかどうか,気になるところではありますが.このように,時代の流れを掴み,世界を大きく変革した人々でさえ,固定観念に捉われて未来を見誤る失敗が少なからずあるのが現実です.
ところでGUIを発明したAlan Kayは「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と述べています.一方で,Web 2.0とかCGMとかマッシュアップとか,この研究会でも様々なキーワードが出てきておりますが,これらは現象が先行し,後からビジョナリーや経営学者と呼ばれる人々が後付けで理屈付けしたものです.
例えば,Web 2.0という言葉を発明したTim O'Reillyは,オープンソース・ムーブメントにも早い時期から関わっていました.ソースコードを公開することは,コンピュータの発明当初に於いては疑いようのない当たり前の営為でしたし,例えばTeXEmacsのような今日まで連綿と続くオープンソースプロジェクトが,遅くとも1970年代後半には生まれています.これらは当たり前であったが故に,概念によるラベル付けが必要でなかった訳です.
1980年代初頭にRichard Stallmanフリーソフトウェア運動を始めました.何故フリーソフトウェア運動が必要となったかというと,逆説的ですがソフトウェアが商品価値を持ち,複製を問題にしたり,ソースコードを隠しはじめたからです.1970年代,IBM独占禁止法の排除勧告を受けてソフト・ハード分離を行ってソフトに価格をつけるようになったこと,マイクロソフトやビジコープといったパーソナル・コンピュータ向けのソフトウェア企業が登場したことなどが,ソフトウェアが高価なメインフレームの付属サービスではなく独立した商材として認知されるようになった背景としてあります.また,当初はソフトウェア資産を特許などで保護していたIBMが,System 360に関連した特許の期限切れを前にして,20年で切れてしまう特許ではなく,ソフトウェア自体を著作権で保護しようと盛んにロビイングしたこともあります.この問題は御承知のように本邦でも所謂プログラム権論争を引き起こしましたが,IBM産業スパイ事件によって米国に倣ってソフトウェアを著作権で保護せざるを得ないところまで追い込まれたという歴史の一コマもございました.
フリーソフトウェア運動の直接の引き金は,AT&Tがかつて独占禁止法でコンピュータ産業への進出を禁止されていたのが分割に伴って解禁となり,UNIXソースコード・ライセンスを厳しく管理し始めたこと,そしてRichard StallmanのいたMITのAI研から今風にいうと大学発ベンチャーといいますかLISPマシンのSymbolics社をスピンオフさせて,Symbolics社がAI研の研究者を次々と雇用し,Stallmanの傍から引き剝がしていった,この二つの歴史的出来事が,Stallmanをしてフリーソフトウェア運動を推進せしめる情念を生みました.
では,急速に商業化しつつあるソフトウェアの世界でひとつの対抗文化を牽引し,彼自身もemacsgccといった素晴らしいプロジェクトを生んだStallmanに対し,Tim O'Reillyは何も発明しなかったのかというと,勿論そうではありません.ご承知のようにEric Raymondの書いた『伽藍とバザール』の影響を受けてNetscape社がソースコードを公開したことによって,学術研究や哲学ではなく事業戦略として,オープンソースというコンセプトが認知され,最近もJavaのGPLv2化が話題になりましたけれども,その後のIBMやSunによるオープンソース戦略に繋がっていく訳です.そういった意味で,Tim O'Reillyは優れたイデオローグであり,オープンソースというコンセプトの発明が,ここ数年のIT企業の戦略に大きな影響を与えてきたことは疑いようのない事実であります.
最近SONYソースコードページというのを拝見したのですが,彼らは非常に真面目にGPLを守っておりまして,そこをみると気がつけばテレビにも,ビデオカメラにも,ゲーム機にも,HDレコーダにも,みんなLinuxが入っていることに気付かされます.ハードディスクにハイビジョンで録画できるビデオカメラにLinuxカーネルが載っていて,そこで使われているLinuxカーネルやLibcのソースコードSONYのホームページでダウンロードできる訳です.これは明らかに,StallmanやLinusだけでなく,RaymondやO’Reillyによるオープンソース運動による影響の一例といえましょう.GPLのことを厳しく批判しているマイクロソフトでさえ,オープンソース運動の影響を受けてこそ,Windowsソースコードの開示対象を拡大し,大学の授業で使えるようにクリーンナップしたWindows Research Kernelを,従前のNDAと比べれば極めて緩いライセンスで配布するに到ったのではないでしょうか.
Tim O'ReillyはWeb 2.0のキャンペーンを張るにあたっても,オープンソース・ムーブメントでの成功体験をなぞっているかにみえます.オープンソース運動に於ける彼の言説が社会にどのような影響を齎したのか,そもそも彼自身そういったコンセプトを提唱した背景として,どのような時代認識と目論見があったのかという点を振り返ることは,このコンセプトのユートピア的な側面ばかりに目を奪われず,距離を置いて本質を見通す手助けとなるのではないでしょうか.
Web 2.0というバズワードが登場する前後,Tim O’ReillyはしきりにeBayOracleを買収する日がくると煽っておりました.オープンソースによってソフトウェアスタックの価値はコモディティ化していく一方で,オープンソースのソフトウェアスタックを使って構築されたWeb上のサービスは,着々と利用者に関する情報を蓄積しています.ご承知のように我が国に於いても注目されているベンチャー企業,例えばヤフー・ジャパンはFreeBSDを使ってサーバー群を構築し,ヤフー・オークションのバックエンドではMySQLが使われていますし,Web 2.0の旗手として話題となるSNS最大手のMixiGreeはてなといったベンチャー企業もまた,Linux上でサービスを構築しています.米国をみましても,かつてSolarisでサービスを構築していたAmazonが今ではLinuxに移行し, Googleは当初からLinuxベースで世界最大級のデータウェアハウスを構築――Web進化論で梅田氏は「情報発電所」と表現されておりましたが――されていることはご周知の通りであります.けれどもここでO’Reilly氏は問う訳です.オープンソース運動によって本当に智は解放されたのだろうか,自由で公正な競争の世界はやってきたのだろうか,と.
そこで彼は気付きます.ひとつは顧客に対してネットワーク上のサービスとして提供するのであれば,GPLがあってもオープンソースのエコシステムによる恩恵を享受する一方で,自分たちの知的財産は引き続き囲い込むことができる,言い換えればGoogleLinuxでサービスを構築しているけれども,その上で動いている検索エンジンや分散データ管理のためのミドルウェア群はソースコードどころかバイナリさえ公開されていないし,それらミドルウェアの管理する膨大なデータもまた公開されていない.即ち,オープンソース運動によってITベンダに対しソースコードを公開するインセンティブ,公開されたソースコードを活用するインセンティブは提供できたけれども,オープンソースの巨大な肩の上で急成長を遂げたネット企業群は,オープンソース・ソフトウェアスタック上で構築した彼ら自身のソフトウェアを公開していないし,それらソフトウェアを顧客が活用し蓄積したデータも公開していない,と.彼はこの問題を指して「データ・ロックイン」と呼びました.
いずれソフトウェア自体よりも,ソフトウェアと密接に連携し,生きた顧客情報の塊ともいえるメタデータ群――例えばeBayでの取引履歴やAmazonの購買履歴,Googleでの検索履歴など――こそが巨大な付加価値を産むのではなかろうかと.そこはオープンソース同様にTim O’Reilly一流のレトリックがあって,彼がデータ・ロックインというバズワードを発明したことによって,顧客から安心してデータを預けるというパーセプションを獲得するために,企業はWebサービスの利用を通じて蓄積されるデータが顧客のものであること,それを人質とする気がないことを表明する必要に迫られました.
けだしソースコードと違い,こういったメタデータは公開することができません.それ自体が扱いに注意を要する顧客の個人情報ですし,それらが価値を持つのは個々人に所有されている時ではなく,同じフォーマットで一か所に集まり,リコメンデーションやパーソナリゼーション,広告表示のヒントとして利用される時だからです.そして,例えばAmazonの購買履歴にせよ,Mixiのプロフィールやマイミクにせよ,それぞれが個別のスキーマを持ったメタデータに他ならず,それらはAmazonならAmazonMixiならMixi固有の知的財産である彼らのソフトウェア,顧客ベース,事業モデルと組み合わさって初めて価値を発揮するものですから,仮に顧客が自分に関するデータについて各々の所有権を主張し,手元に取り戻したとしても,それら単体では何ら情報として価値を持ちません.それ以前に,大半の利用者は提供されるサービスやコンテクストに関心があるのであって,そこで蓄積された情報の所有権に関心を持っている訳ではありませんが.
では,そういったデータを抱え込むことによって本当に顧客を囲い込めるのというと場合によります.例えば日本のSNSであるMixiGreeはいずれも2004年ごろに登場し,当時米国で流行っていたFriendstarの影響を受けているようですが,Friendstarは米国では既に多くのユーザーを減らし,後発のMySpaceなどに取って代わられています.SNSネットワーク効果が高く,友人とのリンク関係など,価値の高いデータをたくさん蓄積していたにも関わらず.日本でもMixiのアクセス数の伸びが止まりつつあるという発表があったのは記憶に新しいところです.
本質的に,Web上の消費者向けサービスは激しい流行り廃りがあります.企業の基幹システムと違い,利用者は大きな投資をしていませんし,突き詰めてみると,あってもなくても構わないサービスが大半だからです.Webの世界が如何に移ろいやすいかは,後発でありながら成熟していると信じられていた検索市場や電子地図,メールの世界で次々と寡占市場をひっくり返してきたGoogle自身が,最もよく理解しているのではないでしょうか.そして,Googleの収益構造はオークションの手数料収入はじめYahoo!など他のポータルと比べて検索連動広告への依存度が高いというリスクを認識し,リスクヘッジを行っています.それがマッシュアップなどWebサービスの提供です.
ブラウザでGoogleのURLを入力し,Googleのトップページで検索語を入力して検索を行う層は,簡単に他の検索エンジンに乗り換えることができます.LiveやYahoo!も,同様のインターフェースを持っているからです.Googleがいま最も恐れているのは,明日のAlta Vistaとなってしまうことではないでしょうか.けれども,ブラウザの検索窓からの検索,サイト内に埋め込まれたGoogle検索窓からの検索は,消費者が簡単に他の検索エンジンに乗り換えることはできません.マッシュアップでは,更に乗り換えの敷居を高くすることができます.例えば他に優れた地図サービスが登場したとしても,Google Mapの組み込まれたアプリケーションを利用している,例えばはてなマップのユーザーは,はてなGoogle Mapから他に乗り換えない限りGoogle Mapを使うことになります.マッシュアップのためのAPIは地図サービスごとに異なりますから,はてなGoogle Mapから他の地図サービスに乗り換えることは,消費者が使う地図サービスを乗り換えることと比べると,非常に敷居が高いのです.そして移り気な消費者と比べてWebサイト保有者は遙かに数が少なく,関係を維持するための労力が小さくて済みます.AmazonWebサービスに力を入れているのも同様です.自社のWebサイトだけで商売をしている限り,レコメンデーションに必要なデータは蓄積してくるとはいえ最終的には価格で横並びに比較されてしまいます.例えば書誌情報を提供する代わりにAmazonへのリンクを張ってもらうことは,書誌情報に投資せずに済み,Amazonからキックバックを受け取れるWebサイトにとってもメリットがありますし,Amazonは自社サイト以外にもリーチを拡大し,消費者が何かを欲しいと思った瞬間に購入する手段を提供することに繋がるのです.
しばしばマッシュアップにはキラーアプリケーションがない,Google Mapも話題にはなったけれども,それを活用したサービスが儲かっている話を聞いたことがないという指摘があります.けれども,そもそもマッシュアップというのは先ほどおはなししたように先行する事業者が地位を維持するために,相互依存性の高いサービスを外部に対して提供し,同じ分野での投資インセンティブを下げるという側面もありまして,競争の厳しいWeb分野で一定の参入障壁を構築することには成功しているのではないでしょうか.参入障壁というとネガティブな印象を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが,ソフトウェアだけでなくデータやサービスも含めて再利用性を高めていくことは,技術的にも経済的にも妥当な戦略です.成功しているWeb企業は自社の地位を維持するために,自社サービスをマッシュアップできるようWebサービスなどに切り出していく経済的インセンティブがあるということです.彼らは「公共財だから」といった慈善的な動機ではなく,市場でのポジションを維持・拡大するために,積極的にインターフェースを開示しているのです.
このように,企業に対してオープン戦略を取ることの積極的メリットを訴求する点,そのために既存の様々な動きを分かりやすく概念化するという手法は,オープンソースWeb 2.0で非常に共通しているところです.公共性を横目でみつつも,個々人の善意ではなく企業の功利主義に訴えるからこそ,Tim O’Reilly氏の言説はこれだけ幅広い影響力を持ったのではないでしょうか.
Web 2.0を巡ってはRSS, AJAX, マッシュアップなど技術的なキーワードが色々と登場しておりますが,それらは既存技術の枠組みの中で,これまでお話ししたような戦略をどう実装していくかという戦術の問題であって,こういった技術にキャッチアップすること自体で何か新しい価値が生じる,市場が立ち上がるといった話では必ずしもないのです.今後,Web 2.0的な言説の影響で,これまで企業に囲い込まれていた様々なデータやシステムが,第三者から組み込み可能なかたちで提供されるようになるでしょう.ひょっとするとそこから,何か面白い次の動きが出てくるかもしれません.けれども現時点でWeb 2.0の恩恵を受けるのは誰かと考えてまいりますと,これらサービスを利用する個人やベンチャー企業以上に,サービス提供を通じて市場での地位を維持できる可能性が高まる大企業ではないかというのがわたくしの私見です.とはいえ,これまでよりも魅力的なサービスを提供する上で参入障壁が低くなる点では,ベンチャー企業にとっても消費者にとっても,メリットは小さくないことは確かです.つくづくO’Reilly氏のレトリックの巧みさには舌を巻きます.

ご清聴ありがとうございました. (了)