雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

国策ITの敗因は癒着だけではない

今週の日経ビジネスが刺激的だ.「電子二等国ニッポン e-Japan 国策ITの敗戦」と題し,FNHを中心に政府主導で振興してきた国産IT戦略を完膚なまでに批判している.ゆうちょ銀行のシステムを日本IBMが受注しそうだという下馬評を持ち出したり,内容の定かでない情報大航海プロジェクトで開発はベンチャー&大学の研究室中心,展開はユーザー企業中心となっているらしいという話を「FNH外し」といっている.けれども国策ITを仔細に追ってみると1970年代末から失敗への伏線はあったのではないか.
だいたい前者は銀行の統廃合で廃棄の決まっている勘定系オンラインをゆうちょ銀が引き取ろうとすると結果的に日本IBMが受注するかもねという風に取ることもできるし,後者はたかだか年間50億円の予算で国策を背負わされるのはFNHだって願い下げではないか.と考えると,これら状況証拠だけを持ち出してe-Japan戦略の失敗を論ずるのはセンセーショナリズムに過ぎる.
情報通信の国産化満州事変以来の悲願と記事では書かれているが,コンピュータの重要性が理解されたのは戦後に入ってからで,戦前からの国策が仮に生きているとしても,せいぜい電話交換機や伝送路のことではないか.IT国産主義は記事中にあるように1968年の閣議決定からで,それは規制強化というよりは,今後は外資規制ではなく政府調達による振興政策を通じて国産コンピュータベンダを育成しようという,市場開放の意味合いが強かったのではないか.日本ユニバックが官公需から排除されたことのみを取り上げるのはバランスに欠ける.
日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』を読むと,大正時代末に高柳健次郎が世界で初めてブラウン管テレビを発明したにも関わらず,正力松太郎占領政策の転換に乗じて放送局設立へ向けた外債欲しさにNHK技研-高柳が開発を進めていたPAL方式ではなくNTSC方式を推進したというエピソードが出てくる.正力はテレビ局だけでなく日本を発端にアジア全域をカバーするマイクロ派網をユニテル社の機器で構築し,それを電電公社に貸し出そうという構想に乗っていたというから,通信機器の国産化そのものが,講和条約前後の微妙な政治情勢の中で関係者の尽力で実現したのだろう.
コンピュータと異なり通信の国産化は戦中からの悲願で,占領下の難局でも守り通した国策であった.そういう意味では,ゆうちょ銀行を日本IBMが受注するかもねという話よりは,D70をはじめとしたISDN交換機網をいずれ置き換えるNGNが,CISCOやJuniperのルータで構築されることの方が歴史的にみるとエポックメーキングである気がするし,その手前にはOCN構築時にFNHではなくCISCOのルータを選んだNTTの経営判断や,ビジネスのためには自社ルータだけでなくCISCOのルータだって売りまっせというFNHの商売もあった.
今日の高速ルータの基本アーキテクチャであるセルスイッチルータは東芝が発明しているし,そもそも交換機で実績を持つだけでなく,世界最高速のスーパーコンピュータで最先端のクロスバースイッチ技術を保有していた日本は,1990年代中盤に技術を読み誤っていなければCISCOはともかくJuniperの先を越すことはできたはずだ.
FNHは技術ではなく俊敏さとマーケティングCISCOやJuniperに負けた.Juniperは市場ありきで起業し,CISCOはMarge and Developmentでベンチャー企業の活力を取り込んだ.やはり交換機に強かったLucentやNortelだってインターネットにうまくキャッチアップしているとは言い難いので,この分野の覇権を取れなかった点についてFNHを責めるのは酷という気もする.
歴史を遡ればインターネットを軽視してISDNOSIに産業界・教育界を誘導した政府や,大学やNTT研究所でB-ISDN構想を信じていた交換屋たちの「IPなんて所詮オモチャ」という傲慢な思い込みがあったに違いない.とはいえ,ベル研に巣食う交換屋の多くも似たような体たらくであったはずで,キャッチアップ指向で美国の陽のあたる側面にばかり着目して背中を追う日本と,電話を産み交換屋の文化を育む一方で,核戦争でも落ちないネットワークをとパケット交換技術の研究にも軍事費から資金を出して,ヴィント・サーフやメトカルフの遊び場を提供した米国との懐の深さの違いということかも知れない.
書いていてグダグダになってきたけれども,何というかe-Japanとか電子政府とか壮大な無駄があった気はするけど,そもそも負けが込む構図はe-Japanに始まったのではなく,1970年代末くらいから積もり積もった矛盾の上に,不況を受けての景気対策で,財政出動のケタが変わっただけの話ではないかとか,そういう諸々のことを考えると,もっともっと根が深い問題を,関本忠弘氏と政界との微妙でスキャンダラスな関係を示唆するインタビュー記事で〆るというのはジャーナリスティックに過ぎる手法である気もしないでもない.
僕は往年の産業政策でいえば輝かしき1970年代,富士通・日立にIBM互換路線を指導し,後のIBM産業スパイ事件の伏線となった業界再編や,超LSIプロジェクトの頃から今日露呈している役所の強引かつ無責任な所業に何ら変わりはない気がするし,何をやっても批判され,予算も許認可権もなく,矛盾が露呈した中で力を持っているかのごとく振る舞わねばならない今の役所の方が,よほど周囲に配慮し苦労している気もする.どちらも意志決定に社会的影響力がある割に,誰も何ら責任を問われないのはおかしいけれど.
だからIT産業政策の行き詰まりや大手ベンダの凋落について政官財の癒着という観点ではなく,時代や競争の枠組みの変化に対して,なぜ失敗から学習しアプローチを変えることができなかったのかというモチーフで斬らないと,いもしない犯人をでっち上げて読者にカタルシスを与えるだけで,何ら状況の改善に繋がらない気もするのである.