雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

意識と使命

まあ,そういうものなのだろうな.分からないものを分からないまま宙吊りにできるのって知性だよね.それに耐えられないヒトもいるから付け込むカルトとかもある訳で.ちゃんとした宗教は,そういうヒトの弱さに付け込まずに,距離の取り方とか悩み方を教えてくれるらしいのだが.
何というか,恙なく生きているから人生の意味とかも悩める訳で,もうちょっと死が身近なら別のことを悩むのだろう.そういう意味じゃ恵みなのか.人類が平等であることを仮定し,あるいは自分の生に意味があることを勝手に仮定して迷い悩むというのも論理的でない気がするが,悩んでこそ見えてくることもあるだろうし,いいか悪いかというと微妙だ.きっとそれはチャンスでありリスクでもあるのだろう.

なぜ生きているのだろう。なんのために生きるのだろう。そうした問いが、実際に人生をすり減らしてみるとあらかた自明に終了する。たとえばあの20歳の時からの30年を思う。なぜ生きているのか結局わからないし、なんのためというのもだ。が、生きていることは深いところで恵みというものがある。