身内読者は悩ましいが、気にしたら負けだと思う。
この分類でいうと僕は典型的に身内読者を苦痛に感じるブロガーだね。このブログも実際には時折親に読まれたり、妻に読まれたり、元カノに読まれたり、同僚や元同僚に読まれたり、付き合いのある同業他社、記者や担当編集者に読まれている訳だが。はてなが何十年か続けば、僕の息子達が十数年後に読むことだってあるかも知れない。「なかのひと」をみて時々自分の会社の文字が大きくなっていたりすると、かなり気が塞ぐ。
「読まれること」の最大の問題点は、「誰に読まれるか」が指定出来ない点にある。職場の上司に読まれるかもしれないし、親兄弟に読まれるかもしれない。恋人の読まれるかもしれないし、ニュースサイトの運営者に読まれるかもしれない。当たり屋ブロガーに読まれるかもしれないし、古い友人に読まれるかもしれない。そして、彼らに、「どのように読まれるか」も同じように指定できない。
そういえば前の会社で社長に結婚の報告をした時「あれ君は何ヶ月か前に失恋してなかったっけ」と突っ込まれ、かなり冷や汗をかいた。当時は自宅サーバーにハイパー日記システムを入れて日記を書いていたんだが読まれていたらしい。
1年ちょっと前に僕のブログをみて興味を持った新聞記者から取材依頼があり、広報に相談したら受けるなというので、上司と相談してペンネームで受けることにしたのだが、記事が出た日に広報から上司宛にスキャンしたPDFが送られてきたらしい。「mixiで辞意を表明したら、すぐmixiでいくつもアポ依頼がきた。けっきょく転職はしなかったけど」という物騒な話題だったんだが、事前に話を通していたし、当時の上司が寛容だったんで事なきを得た。
原稿の催促を受けている時にmixi日記を更新していたり、このブログに長文エントリを書いたり、執筆以外のことをしていると非常に気まずい。会社での会議中に編集者からメッセが入ったりするのも、かなり気まずい。最近はブログ、mixi、Twitter、Messengerみんな編集者と繋がっているから、なかなか逃げられないのである。
そういえば私の昔のボスも、偉いひとからのアポをすっぽかして汽車ぽっぽのイベントとかに行っているのが昔はバレなかったが、ブログを書くようになってからアリバイが通じなくなった。大事なメールの返事を放ったままブログに長文エントリが出ることが結構あって、下々は言い訳に苦労したものである。
何をブログに書いていいかを巡ってはコンセンサスが確立しておらず難しい。奥さんにアリバイをつくって若き女子学生と食事した先生が、女子学生が「○○先生とお食事しましたー」とかブログだかmixi日記にアッケラカンと書かれ、バレてしまったと聞いた。高名な先生ほど、ありそうな話だ。
そういえば昔は恋人と別れると何年も経てば近況とか聞かなくなったものだが、最近はググられて急に連絡がきたり、時にmixiで足跡をみつけてドギマギしてしまったり、twitterとかも気になってしまっていけない。アテンションを過去ではなく未来に向けたいのに、いつまでも気になってしまう。SNSって年がら年中、年賀状をやりとりしているようなものだよね。関係がこじれた時にマイミクから外すか、アク禁にするかとか、人によってだいぶ個性が出るんじゃないか。
こういった個人的な情報が容易にクロス参照できるようになると、嘘をつくのが非常に難しくなる。僕は脳内スタックが小さいので、今のところ正直戦略に徹しているのだが、この手のソーシャルメディアが発達した時に、総じて人々が正直になるのか、それともイタチごっこ的に情報爆発を逆手に取った嘘が増えるのか。
それと忘却って脳にとって非常に重要な機能なんだけど、何年か前の女友達の動静がいつまでも気になってしまったり、数年前の火照ったラブレターとかメッセのログがいつまでもgmailアカウントに残ってしまうのって、精神的にどうなのだろう。まあ嘘をつくコストが上がるのは社会的にみて望ましいことだし、嫌なら強い意志を持って目を背ければいいのであって、気になる相手の考えていることとか悩みをいつまでも知ることができるのは、悪いことじゃないよなって思うんだけど。