雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

なぜ日本の地上テレビ放送は強いのか

確かにネットでコンテンツが流れるとテレビ局は困るんだよ。自宅にVoDを入れて初めて実感した。年中くだらないバラエティばかり流している地上テレビ放送をみるよりBSデジタルで温泉紀行番組をみた方が和むし、VoDで映画みた方がずっと楽しい。NHKオンディマンドが出たら月数千円は惜しくないんで、僕が自宅にいるときはNスペ系の報道ドキュメンタリーとか科学番組をリビングで流しまくりたい。
既に映画だけでも一生じゃ見切れないくらいVoDでみることができるし、バラエティみたければ今まで通りテレビをつけていればいいじゃん。ネット事業者がテレビコンテンツを物欲しそうにしているというけれど、ネットでテレビ風の下らないバラエティ番組って誰がみるのかな。
だいたいネット系の配信事業者が、地上テレビのコンテンツに対して応分の対価なんて支払える訳ないんだよ。片や年2兆円を国内5系列で分け合っているのに対し、片や年たった5000億円をグローバル競争で無数のプレーヤーが分け合っているんだ。同じコスト構造でやっていける訳がない。
放送局が数千万円の放送用カムコーダを使うなら、ネットは500ドルのデジカメで頑張ろう。数億円もするスタジオ設備でやっていることを、数万円のPCソフトで頑張るんだ。テレビがトップアイドルを呼ぶならネットはボーカロイドを使い倒す。濡れ手に粟じゃないし、常に競争が厳しいから、新しい工夫を積まなきゃならない。クリステンセンが『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』で指摘したように、技術革新って損益をバランスさせ急成長する小さな産業から産まれるんだよ。ニコニコ動画にアップロードされている無数のコンテンツなんて、まさにそういう世界だ。
数年も経てばケータイ小説から山ほどミリオンセラーが生まれているように、ニコ動で生まれたコンテンツが地上テレビを席巻してるんじゃないかな。毎日数千本も投稿された中で競争を勝ち抜いたトップクラスの動画は、テレビでみたって絶対に面白いはずだ。小説でもフラッシュアニメでもこの逆流現象は既に起こっていて、例えば昨年NHKで大ブレイクしたうるまでるびさんのおしりかじり虫なんか代表例だ。ビジネスの大きすぎる地上テレビじゃ実験ができない。昔はインキュベータだった深夜放送も、エネルギー対策で止めましょうとか、通販会社に切り売りしましょうってご時勢だしね。
みんなテレビのコンテンツをネットに持ってこようと「ネット権」云々とか必死だけど、過去のコンテンツに如何ほどの価値があるというのか。もちろん歴史的価値はあるし、見るに耐える膨大なコンテンツがあるのは確かだが、それだけだ。本当に大事なことは、これから我々がどれだけ面白いコンテンツをたくさんつくり、文化を成熟させ、世界を動かせるのかということだ。
在京キー局だって新しい動きを見逃すはずがない。これまで深夜放送でやっていた実験的な番組は、もっと大規模に裾野を広げてネットで展開されている。遠からずNHKに対抗して、ドキュメンタリーの一部をブログに張れるようになるのではないか。ドキュメンタリーならバラエティほど権利処理が面倒じゃないし、雑誌の中吊り広告と一緒で、社会的影響力を高めて会社のブランディングにも繋がる。うまくやれば報道番組本編の視聴率向上に資する可能性さえあるからだ。
だいたいテレビとネットで利益水準も事業構造も視聴形態も違うのだから、ネットコンテンツの本命はテレビコンテンツじゃない。VoDなんてテレビ電話と同じくらい、使いようによっては便利でも夢のない話だ。テレビが映画界から突き放されながらも自立したように、ネットはネットなりの新しいコンテンツ・エコシステムを形成すべきだし、テレビ局からコンテンツの提供を受けようとするならば、Win-Winの展開を考えるのはネット側の仕事で、権利者に泣いてもらえるよう役所へと働きかけるのは無理筋だ。
もちろん欧米や韓国で実用化されているIPTVが日本で流行らないのは何故?みたいな話はあって、これはBSやCSによる多チャンネル化が前評判通りにいかなかったのと同じで、突き詰めれば地方局の経営問題である。日本に於ける地上テレビ放送の垂直統合型ビジネス構造が米国のFin-Synルールや英国のPrime Time Access Ruleといった競争政策を取らなかった行政のせいではないかという議論があるが、これは筋違いだ。
Fin-Synルールはハリウッドがロビイングした成果であって、同じことをできなかった日本の映画界が不甲斐ない。これは仮説だが、日本は戦争に負けたが故に、いわゆるプロパガンダを通じた政治と映画界とのつながりが敗戦で切れてしまったのではないか。テレビは恒常的な報道機能を持つ新聞が創ったこともあって当初から磐石な政治活動の基盤を持ち、さらに敗戦で地位を失った政財界人や満州浪人を引き取って隠然たる政治力を得た電通を巻き込んだのに対し、戦前から業界の確立していた映画界は、そういった吸引力や政治的影響力を持たなかった。
では米国で日本と違って地上テレビ放送の後にCATVや衛星、インターネットといった技術革新がメディアとして立ち上がったのかを考えてみると、やはり人材の流動性が大きいように思われる。個々人のキャリア・ラダーを考えた場合に、時代を動かせる優秀な人材にとって、米国では収益性の高い既存産業で少しずつ偉くなるよりも、新たな世界に飛び込んで産業を立ち上げたほうが儲かるから、出来レースで既存産業の利潤を維持する方向ではなく、インフラ間の仁義なき戦いが生じるのではないか。その点、日本では地上テレビ放送が相対的に高い給与水準で人材を囲い込んだことで、他のインフラとの仁義なき戦いは起こらなかった。パイプが管理されている環境で、制作会社や実演家のバイイング・パワーも高まらなかったのではないか。
という訳で、日本でやたらと地上テレビ放送が強いのは、必ずしも政府が怠慢だったからではなく、田中角栄の豪腕や電通の暗躍とか、硬直的な電波法や著作権法もあるんだろうけれど、戦争に負けて映画産業と政治との繋がりが途切れたとか、独立系制作会社が経営的に自立できず、そういった制作会社を護る制度もつくれず、高額給与と終身雇用で地上テレビ放送から新メディアに人材が流れず、結果として生かさず殺さず新メディアを立ち上げつつ、既存メディアからの収益を最大化する流れをつくれたのではないか。
なんか新しいメディアが登場する度に似たような議論を繰り返している気もするんだけど、本当に重要なのはパイプの多様化よりは新しい収益構造による業態の変化だとか、それをつくろうと知恵比べを繰り返す企業家精神ではないか。だから米国から欧州から政策をコピペして濡れ手に粟を狙うのではなくて、誰もを唸らせる面白いことを立ち上げるしかないのだ。ネットにはその潜在力があるし、ネットを虎視眈々とみている在京キー局だって、新たな取り組みに対して保険をかけようとするはずだ。

「我々がテレビ番組をニコニコ動画に出してくれとテレビ局にお願いしても、自分が相手の立場だったら『出す理由がない』と思う。宣伝になるケースも限定的にはあるが、ビジネスとしてうまく成り立つ提案を現在のネット業界は出せていない。コンテンツを出してもらえるだけの理由を業界が出せていないのが一番の問題だ」として、テレビ局が番組をネット配信することには経済合理性がないとの考えを示す。
「コンテンツはフリーであるべき、という空気があり、それを理由にIT業界がコンテンツを無料で騙し取ろうとしている雰囲気がある」(川上氏)