雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

純粋まっすぐ君ないじめっ子を育てる日本アニメ

これって要するにアンパンマンドラゴンボール集団主義を称揚し、いじめを助長しているってことでしょうか。実際そんな気はするけど、じゃあいじめを助長しないようヒーローものは禁止してアニメの脚本はガッツリ検閲しましょう、みたいな方向にいかれても困る。
つか『本当は恐ろしいグリム童話 Deluxe』みたいのを読むと、童話って本来は世の中の矛盾や理不尽を子供のうちから疑似体験させるところに肝があるのであって、エログロとかの毒を抜いた挙句に村社会的予定調和を持ち込まれてしまうと、純粋まっすぐ君ないじめっ子が育つんじゃなかろうか。
だから大学に入ってまで社会からレリバンスを用意してもらえないと自立できない子とか、『絶対内定』読んで啓発されまくったり、やっぱこれからは就職のために毎日ブログ更新だろ、みたいな話になってるんじゃないかな。やっぱ本来の『蟻とキリギリス』を読んだ上で、それでも俺はキリギリスとして生きるんだぜ、くらいの気概が欲しいところ。

読んでて思ったんだけど、日本のヒーローものは闘う過程を重視してるんじゃなくて、倒す相手の選択や、彼らを倒す際の障害を重視してるんじゃないだろうか。
(略)

スーパーマンとかアメコミ セーラームーンとかドラゴンボールとか日本のヒーロー
相手は完全にEVILなのが多い。社会の中にまぎれていたり、名声をもっていたりする。ばれなかったらいい人みたいなのもいる。基本的には市民活動ベースでみれば同質金!金!金!クスリ!権力!みたいなの。ヒーローは「いいこと」してるんだけど周囲は理解してくれないので孤独にでもやる、というパターン多し 相手は最終的に公然の敵。たぶん戦いが終わっても社会的にハブられてしまうレベル。基本的に明らかな異。それをみんなの合意のもとでぼこる。つうかぼこることができる状況にする。その際のカタルシス。悪役の美が妙に求められる。ギンガナム様萌え。
ちょお個人主義能力主義。個人対個人の対立が頻繁に起こる。その対立は起こってもよいものだ。根底に独立を美徳とする観念がある。 社会性を重視する。集団でぼこるような私的制裁が大小日常的におこる。その対立は自分が善であれば起こってもかまわない。しかし、悪に対する共感や憧れがある。根底には協調を規律とする観念があり、そこから悪への共感も生まれているのではないか。