ブロッキングを違法と考える理由と アンチウイルス+責任制限方式の提案
ところで新聞紙上等でブロッキングについて話題となっているが、欧州で行われているDNSベースのブロッキングに関しては、日本法に於いては憲法や電気通信事業法に違反する公算が高い。というのも、確かにプロトコルレベルでみればDNSとHTTPとは別の通信として考えることもできるが、本来はWebページを取得描画する一連のシーケンスの中にDNSを利用した名前解決があるのであって、仮にIP層でのパケットフィルタリングを行っていなかったとしても、通信を阻害することを企図して特定URLに対する名前解決の提供を阻止することは、実質的には検閲を構成すると考えられるからである。
また欧州方式について現実的に考えた場合も、DNSで特定ホストに対する接続を阻害することは、対象となる児童ポルノ画像に限らず、幅広いコンテンツを閲覧不能としてしまい、かつ、ブロッキングとは大人も対象とした閲覧制限であり、その事実を公知とすることはできない。そうすると、たまた児童ポルノ画像と同じサーバーに公開されていたコンテンツまで閲覧不能に陥ってしまい、こちらは憲法の定める表現の自由や、電気通信事業法の定める利用の公平に明らかに反する。
また、検索エンジン各社の提供するイメージ検索機能は、仕組み上どうしても大量の児童ポルノ画像を閲覧可能としてしまう可能性があるが、かかるサイトをブロッキングすることはネットの利便性を著しく損ねる一方で、これを例外にしてしまうと中小ISPやホスティング事業者を狙い撃ちすることとなってしまい、憲法の定める法の下の平等や、電気通信事業法上の利用の公平に著しく反する。
従って少なくとも日本国憲法と電気通信事業法を大幅に改正しない限り、欧州方式のブロッキングを日本で導入することは極めて困難であろうと考えられる。
では日本の法律で認められ、欧州方式と比べて精度の高いブロッキングを行うことは技術的に可能だろうか。最も有効かつ柔軟で法的問題を回避できる方法としてアンチウイルスソフトウェアの利用が考えられる。つまり児童ポルノ画像を所持しているだけで違法となるならば、そういった法的リスクから利用者を守る機能をアンチウイルスソフトウェアに実装してはどうかという提案である。
機械的な識別だから100%ブロックできる訳ではないが、DNSホスト名ベースの欧州方式と比べて遥かに高い精度を実現できる上、そういったソフトウェアを実行し続けているだけで、かかる画像を収集する意図がないことを立証できる。単なるビット列で識別すると圧縮率の変更や落書きによって回避できてしまうが、最近はYoutubeの海賊版識別ツールのように、画像・映像の類似性を検出できるツールが数多く提供されており、かかる技術を応用することで、欧州方式よりも遥かに高い識別率を実現できると考えられる。
技術的にはホスト単位のDNS名前解決制限である現行のブロッキングでは、必然的に9割以上のフォルスポジティブが発生するが、アンチウイルス方式ならフォルスポジティブの確立は極めて低く、技術革新によって精度を上げていく余地が極めて大きい。また、かかるソフトウェアの利用を義務づけることは、欧州方式と同様に実質的な検閲に当たる疑義があるものの、その利用を児童ポルノ画像を収集する意図がないことの意思表示、免責の条件として認める限りに於いては現行法と整合的であると考えられる。
この方式は責任制限が主眼であり、消費者にとって一義的には何ら不利益がないと考えるが、いくつかの懸念はある。まず、こういったことができるということが前提となった途端に様々な政策需要が噴出してしまうことである。Winny等によって、児童に限らず本人の意志に反したポルノ画像が大量に流出している他、エステの顧客情報、学校の通信簿、日銀、防衛省、警察などの機密情報が漏洩している。今のところ対処の手だてがないことになっているが、漏洩した機密情報の所持そのものを違法化し、検出ソフトの稼働を責任制限の要件とすることで、同様の効果を得ようという社会的圧力が生じる懸念があるし、そこには守るべき明確な法益があると考えられるからだ。
正直なところ、この方式は欧州のブロッキングと比べて遥かに洗練されており、日本法との整合性は高いと考えられるものの、レッシグ流の憲法学などと照らした時に、倫理学的、法哲学的に正しいかは疑義がある。また透明性を確保することが困難であることも頭の痛い問題である。透明性について技術的解決が難しければ、監視や規制対象の範囲や濫用行為に対して一定の規制を課すことも考えられる。
このアイデアをブログに書くことは少し悩んだが、僕がブロッキングについてたった数日間考えた結果に過ぎず、きっと誰かが思いついて何か穴があって諦めた気もするし、その理由が知りたいこともあって書いてみた。この方式は欧州のブロッキングと比べて遥かにマシではあるが、それが広く受け入れられるような社会は、決して僕の望んでいる世界ではない。できれば将来に対する懸念よりも、それを行うことが如何に法的、倫理的な観点で問題があるかについて、幅広い意見をいただきたい。