どうも僕らの携帯電話と子ども達のケータイは違うらしい
三十路を過ぎた僕も配偶者とケータイで連絡を取り合っている。子どもって親が大事にしているものに強い興味を持つ。財布とかケータイはまず狙われる。ハイハイを始めた辺りから危ない。息子の同級生の何人かはケータイを持っているし、息子が欲しがることもあるが、今は買い与えていない。目を離した隙に勝手に親のケータイで動画を撮りまくって着メロ設定することがあり、気付いたら叱っている。
僕は10年近く前から黎明期のケータイコンテンツ・ベンチャーを手伝ったし、たぶん世の中的には十分にケータイに詳しい部類と自負している。が、若者のケータイ・カルチャーをさっぱり分かってないなって何度か痛感させられた。
例えば早朝のケータイメールで相手を怒らせてしまったり。僕より数歳下になると、寝ている時にケータイメールが着信すると、電話が鳴った時と同じように起きるものらしい。今年の学生から受け取ったレポートでも友人との似たようなすれ違いについて言及があったから、地域とかコミュニティによる相違もありそうだが。
ちょっと年下になると、メッセンジャーより携帯メールが楽で、1日数十通とかケータイメールのやりとりをしている、返事はもちろん数分以内といった猛者がいる。僕のように半日とか1日放っておくなんて論外らしい。僕が中学生の頃は手紙で、どんなに頑張っても1日1通、普通は週に1〜2通も送れれば立派だったし、手紙を書くのに数十分とか何時間かかけたものである。
数歳の世代差でこの違いだ。親のケータイを勝手にいじって、目を離している隙に動画で声を吹き込んで勝手に着メロとして登録してしまう息子達のデジタルネイティブっぷりをみていると、僕らには想像もできないようなケータイの使い方をするかも知れない、と買い与えることに対して不安になる。
だから取り上げるべきかというと微妙で、逆に何万人にひとりとか、小学生から映像作家としての才能に目覚めたり、書き手としてモチベートされる決定的な体験を得る子もいるだろうし、そういった機会を潰すことはあまりに惜しい気がする。
もちろん野放図な利用によるメール中毒とかプロフでの出会いは防ぐ必要があるが、子どもを意識して、学習環境を損なわず、創造性を育み、様々なかたちで子ども達の潜在能力を引き出す、それこそアラン・ケイがDynabookで構想したようなケータイをつくることもできるんじゃないの?という気はする。
いまのキッズケータイって、結局のところ大人用に設計されたサービスを子ども向けにデザインし直して機能を制限したかたちで提供しているだけで、必ずしも子ども達の創造性を引き出すようには創られてはいない。子ども達に節度ある使い方を促しつつ、潜在能力を引き出す面に於いては自由なケータイって創れないのだろうか。
もう少し言うと、どうも小中学生の親というのは、30代後半から40代前半くらいの親のようだし、母親はそのあたりに固まっている。彼女たちは、いったいこの問題をどう考えているのか。
ということで視点を変えてそのあたりの年代層の女性を見回すと、私から見るという限定なのだが、彼女たち自身もけっこう携帯メールのやりとりをしている(意外と旦那との連絡にも使っている)。ちょっと誇張して言うと、今回問題とされる小中学生の携帯利用と、母親たちの携帯利用はそれほど変わってない。逆にだから、まるで親には問題意識なんてないんじゃないかと考えるほうが、事態に整合的に思えてくる。