雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

通信プラットフォームの安全な解放へ向けて

先週は九州大学での特別講義の後に休暇を取って、熊本でゆっくりしていたかったんだが、木曜に通信プラットフォーム研究会が予定されていたので福岡から戻って早々に参加した。結構マスコミが来ていたのに記事にはならなかったが、高木氏が様子を伝えている
僕の発言で個体識別番号の個別的な議論は次回以降に先送りする方向で機先を制したつもりが、結果としてプライバシー論議の呼び水となってしまい、この研究会で本来議論していた通信プラットフォームの解放による産業へのインパクトについて充分に議論を深められず、分かりやすく伝えられなかった点が残念ではある。
今回の研究会で個人的に注目している政策的な論点は大きくふたつあって、ひとつはGoogle Street Viewのように技術革新によって従前の議論とは全く前提の異なるプライバシー問題が出てきた場合、日本の常識が通用しないプレーヤーが出てきた場合等の政府の役割、もうひとつは個体識別番号等のように消費者のセキュリティやプライバシーと事業者間の競争を担保するための通信プラットフォーム解放とが相反する場合の消費者保護政策と競争政策との調和と均衡にある。決してGoogle Street Viewや個体識別番号等そのものについて議論する場ではないことに注意されたい。
前者について個人情報保護法に於ける個人情報の定義は住基ネットの議論で4情報となっているけれど、プライバシー概念はもっと幅広く解釈すべきだし、情報通信では通信の秘密というもっと幅広い制約もある訳で、この辺は判例ベースで議論すると非常に厳しい解釈も可能だけれども、諸外国の遅れを取らないよう技術革新に対して寛容に、けれども確立している利用者の権利に対する侵害は行政当局が速やかに措置し、国民の直感に反する事案については早急に事業者、消費者、有識者等を集めて詰める必要があるということだ。法律が禁じていないのは、決して問題がないということではなく、単に制度が想定していなかっただけということもあるのだから。
後者について、事業者間競争と消費者保護とどちらが重要かといわれれば、原則として消費者保護を優先すべきと考える。何故なら国民の守られるべき権利は、個々の産業で新規参入の可能性を担保することよりも重要だからである。問題は寡占的事業者が他の事業者に対して利用者のプライバシー等を理由にコンテンツ事業者に対して差別的扱いを行った場合や、寡占的事業者自身が外部事業者では提供できないサービスを企画した場合、どこまで認めるべきかという論点に絞られる。
独占禁止法では、合理的な理由があれば寡占的事業者による差別的取り扱いを認めている。利用者のプライバシー確保は、充分に合理的な理由と考えられる。一方で性悪説に立てば、寡占事業者が他社の参入を抑止するために、意図的に脆弱な方式を採用することも考えられる。かかる差別的取り扱いの合理性については、技術に精通した第三者が個別に評価してはどうか。例えば個体識別番号等の場合、勝手サイトに公開するか否かの二択ではなくて、競争政策上は公開すべきだが、プライバシー保護を考えた場合に現行方式ではリスクがあることを踏まえ、具体的に想定される犯罪被害を防ぎ得る安全と考えられる形式での公開を勧告する、といった方法も考えられる。
プライバシー保護について、国内の電気通信事業者に対してであれば行政指導に法的根拠はあるし、日本法の及ばない海外事業者等の場合も要請し、聞き入れられない場合は国民に必要に応じて注意喚起等を行うことも考えられる。郷に入らば郷に従えというコトバがあるが、ことプライバシーに関しては明文化された基準がある訳ではなく、対応が後手後手に回りがちというのが現状だ。しかし、海外での議論を踏まえて国内におかしな仕掛けがあれば声を上げ、国内の常識から乖離したサービスが始まった場合には日本人としての暗黙の了解を言語化して理論武装し、技術的に議論して、競争にも配慮した建設的な対案を提示できる民間団体が必要な時期がきている。
そして官製不況といった言葉に萎縮することなく、経済だけでなく外部効果にも目配せし、国民の権利を守ることが政府の役割だ。国が業界に配慮し過ぎて甘やかしたところで、ガラパゴス化した先端技術では世界に出て行けない。プライバシー規制について、必ずしも矢継ぎ早にルールを打ち出す欧州に追随すべきとは思わないが、日本人の常識で真剣に検討し、目線を高く世界に通用し得る理念を持とうという気概も必要ではないか。

Google社には、プライバシーに対する懸念が、「偉い学者さんの倫理観」で言われているだけのものと認識されているようで、ずいぶんとナめられたものだなと思った。日本でもちゃんと嫌なことには市民が団結してNO!と声を出していくようにしないと、そろそろ古き良き時代にあったようなバランスは保たれないのではないか。