雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

そこの発言だけ切り出されるとなあ

昨日の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」で硫化水素自殺を例にテレビの影響に言及したことについて、落合弁護士が誤解しているようだ。わたしは硫化水素の作り方がネットに掲載されていること自体が自殺を促しているかは再考を要する、書き込まれてしばらくは全く影響のなかったところ、テレビ報道を受けて検索が急増したことが確認されており、再発防止策の検討に当たっては冷静かつ事後の科学的検証が必要と主張した。
発言の目的は報道を自粛しろということではなく、自殺事案から短絡的に硫化水素の作り方が有害情報に当たると決め付けるべきではなく、サイト毎の判断について多様性が尊重されるべきと主張するためだ。削除依頼しても硫化水素の作り方を削除しない巨大掲示板があるから、確実に削除するための規制強化が必要といった意見を受けての反論である。
そういった議論自体が「気がついたら国民の権利制限の道への露払いとか太刀持ちになっている」のか。少なくとも私は「違法・有害情報対策のためには表現の自由や国民の知る権利が制約されても構わない」とは考えていないし、発言もしていない。そういった誤解を受けたとすれば非常に残念だ。とはいえ私が硫化水素自殺を促したのがテレビ報道であると主張したことが、報道のあり方についての議論を誘発したことは否めず、論点設定の難しさは感じている。
例えば硫化水素自殺の予防を考えた場合に、テレビ報道に対しては何ら議論せず、掲示板に書かれた硫化水素の作り方を短絡的に有害情報と決め付けることはミスリードとなる。報道が検索や掲示板へのアクセスを誘発した経緯を分析した上で、「表現の自由」「国民の知る権利」「犯罪や自殺の予防」など様々な価値について比較考量すべきではないか。個人的にはネットや報道に対して新たな表現規制を行う必要はなく、硫化水素自殺が決して楽な死に方ではないこと、周囲を巻き添えにすることを地道に啓発した方が効果的と考える。
言葉尻を捉えて報道規制を惹起しかねない論点を提示すること自体が「気がついたら国民の権利制限の道への露払いとか太刀持ちになっている」という指摘も考えられるが、それこそ目的のためなら「表現の自由、国民の知る権利」を制限することに繋がりかねない発想ではないか。確かに記事を読むと誤解を免れないし、早く議事録が公開され、発言の前後関係や意図について誤解が解けることに期待したい。

報道機関が社会で起きている様々な事象について報道すれば、それにより模倣犯が出現したり、手口を学んでそれを参考に別の犯罪を犯したり、といったことが生じる可能性は常にあるでしょう。では、そうならないために報道を自粛しろ、ということになると、報道はかなり制約され、国民は社会の中で何が起きているか、ということを知る機会を奪われることになってしまいます。違法・有害情報のことばかり考えていて、表現の自由、国民の知る権利といった、より大きな問題にまで頭がまわっていないのかもしれませんが、違法・有害情報対策のためには表現の自由や国民の知る権利が制約されても構わない、といった発想に、かなり問題があるのは明らかだと思います。
総務省警察庁等から声をかけられ、「公認」の有識者になって喜んでいると、気がついたら国民の権利制限の道への露払いとか太刀持ちになっている、という危険性があるということを、改めて感じさせられます。

検討会のメンバーである楠正憲氏(マイクロソフト技術統括室CTO補佐)は、「何か事件が起きると、その原因が冷静・客観的に分析されていない」として、硫化水素自殺の事例を挙げた。楠氏によると、硫化水素自殺に関する情報はすでに昨年の初めごろからネット上にあったにもかかわらず、同社が保有する検索クエリのデータを見る限り、検索件数は少なかったという。それが、テレビで報道されるや否や急増したとしている。同じく検討会メンバーの桑子博行氏(テレコムサービス協会サービス倫理委員会委員長、AT&Tジャパン通信渉外部長)からは、「報道のあり方についても連携して検討する必要があるのではないか」との意見も出た。