雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

鳩山総務相の的外れな発言

鳩山総務相の発言は理解に苦しむ。現行法で既に児童ポルノの製造は禁止されており、表現として保護されてはいない。直接的に表現の自由と関わるのは単純所持禁止ではなく、準児童ポルノブロッキングの扱いで、これらは自民党が提出している改正案の附則で調査・検討の必要性に言及するに留めている。表現の自由や通信の秘密を守るべき立場にある大臣が、不用意に「表現の自由が大幅に削られてかまわない」と発言することに対して強い危惧を覚えるし、自民党が提出している児童ポルノ禁止法改正案に対する理解さえ疑わざるを得ない。

鳩山総務相は18日の衆院予算委員会で、児童ポルノを個人的に所有する「単純所持」について「断固として禁止するべきだ。表現の自由で守られる法益と、児童ポルノで失われる人権を比較すれば、表現の自由が大幅に削られてかまわない」と述べ、単純所持を禁止する法改正を進めるべきだとの考えを示した。

わたしは被害児童の権利回復を図るためであれば、児童ポルノの所持に対する規制は必ずしも反対ではないが、冤罪や別件逮捕に悪用される危険性に配慮し、3号ポルノの規定を見直して法的安定性を高め、所持の定義について曖昧さを廃し、目的が個人法益であることを明確に書き込む必要があると考える。
表現の自由もさることながら、悪意ある個人・団体や、功を焦る捜査機関が、特定の人物を陥れることに対して、明確な歯止めが必要だからである。そういった点から検討の足りない与党案よりも、1・2号の定義を厳格にした上で3号ポルノを削り、新たに取得等を規制しつつ濫用防止の規定を設け、全体的に重罰化した民主党案の方が熟慮されていてバランスが良い。この緊急時に与野党協議に時間を費やすよりは、衆議院選挙後に民主党案を軸に速やかな法案成立を図るべきだ。

露出度の高い水着を着せた16歳少女の撮影を助けたとして、東京地検は18日、児童ポルノ禁止法違反(製造)幇助(ほうじょ)の罪で、芸能プロダクション「PINKY NET」社長の神崎修一容疑者(41)=東京都渋谷区笹塚=を起訴した。露出度の高い水着を身に着ける、いわゆる「着エロ」と呼ばれる映像が、「児童ポルノ」として起訴されるのは初めて。

アニメ等の創作が性犯罪を助長しているのであれば、それを準児童ポルノとして規制すべきだという議論もあるが、これは表現の自由を守っていく上で極めて危険な発想だ。日本は古来『源氏物語』や『伊豆の踊子』はじめ、児童との性愛を描き国際的に高く評価される文学を生んできた。日本のポップカルチャーが世界的に注目を集めるなか、アニメ等のかたちで優れた創作が現れる可能性もある。法的輪郭の曖昧な現行法の延長で、準児童ポルノと一括りに規制してしまうと、表現者を萎縮させてしまう。『源氏物語』や『伊豆の踊子』のアニメ化を躊躇うような世界をつくっては、日本のソフトパワーひいては国益を損ねる公算が大きい。
いわゆる児童ポルノ児童虐待行為を誘発しているかについては、代償行為となって犯罪を抑止する効果と、そういった欲望を刺激し犯罪を誘発する効果とを比較考量して測定することが科学的に可能か、慎重に検討する必要がある。また、日本よりもポルノを厳しく禁じているが、性犯罪は多い韓国など諸外国の傾向も分析する必要がある。日本は継続的にとっている統計に関しては保守的ではあるものの学者が数多く関わって厳密に設計されているが、内閣府が特定の政治的意図を持って臨時に行う世論調査は、個票の設計から分析に至るまで結論ありきで科学的な議論に堪えない稚拙なものが少なからずある。役所の名前だけ出して匿名で発表させるものだから、恥を知らない稚拙な調査が罷り通り、まともな議論を経ないまま国を誤るのである。調査データは必要な匿名化処理を施した上で個票単位で公表し、学者による顕名での調査と討議に諮るべきだ。
また、望ましくない行動を誘発する表現をどこまで規制するか自体、慎重な検討を要する。わたしは個人的に民放の垂れ流す俗悪なお笑い番組や、敵味方を峻別する勧善懲悪モノが、子どもたちのいじめを誘発している可能性があると懸念している。全共闘世代の革命家たちは司馬遼太郎の『坂の上の雲』や『龍馬がゆく』を読んで自己陶酔し、暴力的な反政府活動に駆り立てられていたと聞く。太宰治を読んで思春期に自殺を考えた若者は多いだろうし、それを「フツカヨイ的」と喝破した坂口安吾の『不良少年とキリスト』を読んだ中学時代の僕は、親父の焼酎をがぶ飲みして二日酔いで学校を休んだ。では俗悪なお笑い番組や、若者を危険な行動に煽動する司馬遼太郎太宰治を禁じるべきだろうか。優れた芸術は良くも悪くも毒を持つし、それらの表現を規制すれば社会が健全になるとは考えない。
1980年代以降の欧米に於ける児童ポルノ規制強化が、いずれ魔女狩り禁酒法のような歴史的評価を受ける可能性も考えられる。国際的な児童ポルノ規制強化について、Wikipedia等で米国でブッシュ政権を支えたキリスト教福音派を中心とする純潔運動の影響が指摘されているが、ブロッキングで先行する欧州での規制に対する政治的原動力がどうなっているか、オバマ政権に移ってからの米国の動き等、もっと調べる必要がある。そもそも「子ども」という概念が生まれたのは近代以降だから遡っても100年近く、特に1980年代以降の動きを追えば、かかる規制を推進する背景にある政治力学を解きほぐせるのではないか。
児童の人権を守るために必要な規制強化を躊躇うべきではないが、曖昧な規定を振りかざして表現や所持を恣意的に取り締まろうとする動きが混ざり込むことのないよう注意深く見守る必要がある。いずれ同じ理屈で著作権侵害だの名誉毀損までが、なし崩し的に被害者救済を名目に取り締まりの対象とされて、権力や声の大きな人々にとって不都合な表現ばかりが幅広く封殺されかねないからだ。