雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

Good Job Google! そして日本語の規制自主権は?

これは素晴らしい!この日本語学習者が増えているときに、優れた日本語テクストへの廉価なアクセス手段が増えることは、日本と日本語にとってメリットが大きい。古書店や文庫ビジネスへの打撃は考えられるが、著者の逸失利益はない。ついでに日本の権利者団体と司法にとっては、考えさせられる出来事だろう。日本で日本法にしがみ付いたところで利益を守れなくなったってことだから。

米グーグル社が進めている書籍検索サービスが、波紋を広げている。「絶版だが著作権はある」という書籍のデジタル化をめぐる訴訟が「和解」という形で決着しそうで、この影響が日本の本にも及ぶというのだ。米国内に条件を満たした日本の絶版本があれば、すべて内容が世界中に公開されることになる。

知財高裁がカラオケ法理の野放図な適用を否定するなど前進があるとはいえ、最近のストビュー規制へ向けた動きとか、薬事法の省令改正で販売員制度の利権を守ろうとする厚生労働省とか、放置しておくと日本語のネット空間を含めて米国主導でルールができかねないよ。それが国民のためになるのであれば望ましいし、社会的に広範な支持を得るだろうから。権利者たちの牛歩作戦をスルーできるならば爽快ではあるのだが懸念もある。
場合によっては国益を損なう場合も考えられる。日本人にとって米国に行って英語で裁判するとなれば非常に大きなハンディだしね。そうでなくとも読まない約款を、英語で書かれたら絶対に読まないだろうし、いろいろトラブルも生じるだろう。
ちゃんと日本政府が規制自主権を維持するためには、もっと国民視点に立った、イノベーションに対して柔構造で、ちゃんと社会秩序が守られるような枠組みを再構築する必要があるのではないか。フォローしておくと、日本だけでなく大陸法系の国々も試行錯誤しているようで、情報大航海とかクエロをみても分かるように、カネで解決できる問題じゃないんだよね、きっと。
もともと日本がプロイセン大陸法を採用したのは、英国と違って判例の蓄積がなかったからで、いまや諸外国と比べて遜色ない判例を蓄積してきているし、イノベーションの早い領域じゃこれから起こる新しいことを予測できないし、議員立法が増えて個々の法案の品質が落ちてきた傾向は今後も続くだろうから、少なくとも情報通信領域だけを特別に区切って、紛争解決へ向けた原理原則だけを示した英米法的な体系をつくれないだろうか。そういう「総合的な法体系」だったら面白いし大歓迎なんだけど。

追記: 福井先生が分かりやすい解説を書かれている。なーんだ、効力は米国内だけか。けど米国にあるグーグルのサーバーは、国外からのアクセスを弾く義務を負っているんだろうか。日本に対しても日本語絶版本のアーカイブを提供した場合、和解違反ってことにはなるのか。しかし、こうやって国によってアクセスできる知に大きな格差が出るんだろうなあ。絶版本を読み漁るために米国へ行った方が日本近代史の研究が進む日とか来るんだろうか。今だって日本政府が捨てた公文書を、米国公文書館で漁って歴史が発掘されている訳だが。情報へのアクセスを大事にしない国は、学問でも外交でも絶対に負けると思うんだよね。

和解の効力が及ぶのは米国内での利用(米国内からアクセスするユーザーへの販売など)だけである。当然だが、米国で和解が成立したからといってGoogleが日本国内でも同じようにオンライン販売できる訳ではない。裁判所はこうした和解条件をすでに暫定承認しており、2009年7月以降の正式承認で和解発効となる。