今日は32歳の誕生日
誕生日ケーキを食い過ぎて胃が凭れた。1歳おじさんになったことについて正直あまり実感がない。今日は午後から出かけるつもりが梅まつりの梅は盛りを過ぎたようだし、どうしようか悩んでいたら雨に降られてしまい、家でダラダラしていた。世の32歳ってどんな感じなのか気になって検索エンジンでそれぞれ「32歳」と検索してみたのだが、却って気が滅入った。何というか理想と現実のギャップに悩む年頃なんだろうか。
いつも自分の誕生日に感じるのが、Greeの友達とか100人ちょっとしかいないのに、何故か3人も2月29日生まれだということだ。で、今日は誰某さんの誕生日ですというメールが自分の誕生日に4〜5通も届く。年間の日数で割ると友達の誕生日にあたる確率は1/3、うるう年しか来ない2/29はさらに1/4だから、友達100人ちょっとのうち3人も2/29生まれって、普通より30倍とか40倍も高い不思議な確立だ。で、彼らが揃いも揃って濃い人々で、さらに私と誕生日が同じひとも濃かったりするので、誕生日と性格との因果関係って何かあるんだろうか、とか考えさせられた。
ぼくの31歳は世間が大変だった割に、人生の中では落ち着いた1年だった。そろそろ似たような仕事を5年近くやっていて、マンネリを感じることもあるが、こういう仕事は10年、15年やらないと板につかないという気もする。そろそろ人生に対しても、社会に対しても、もう少し大きな絵を持って動かないと、小さなことに足を取られて埋もれていってしまうのではないかという恐怖はある。あと色恋からは遠いところに来たなあ、とか。
くやしいことに「あなたは何屋ですか」と何度か大事な局面で聞かれた時ちゃんと答えられなかった。35歳くらいまでには胸を張って何か答えられるようになるといいのだが。この5年くらい電波の開放とか、インフラ系の競争環境とか、いくつか世の中で納得のいかなかったことの変革に立ち会うことができた。いまも政策過程の透明化とか、政党の近代化とか、柔構造のキャリアパス設計とか、ぼんやりとした問題意識は持っているのだが、どれも雲を掴むようなはなしで、何から手をつける機会に恵まれるかは分からない。
専門性とか周囲から役割をお膳立てされる世界も大事だが、こういう時代が急速に動いている時期だと、誰もが分かっていて見落としている部分を、どれだけ丁寧に拾っていけるかという戦略もあるのではないか。わたしのバックグラウンドはITだが、いまや金融も、行政事務も、教育も、ITの急速な進歩と旧来の仕組みとの齟齬を来す部分が争点となりやすいし、ITを使ってこれまでと別の解き方も示せる場合があるから、割と何に首を突っ込んでも格好はつきそうだ。
昨年のGoogle Street Viewで顕在化したのがバーチャルとリアルが融合した途端、法令遵守を確認すべき範囲を決められなくなってしまう問題で、これはARやHome robotが普及すると、さらに深刻な問題となりそうだ。あまりに検討すべき範囲が広すぎて、事前にあらゆる法令や主要な判例を網羅した法令遵守は不可能だし所管官庁も未定で責任を持った回答は難しい前提で、イノベーションを封殺せず社会秩序を維持する仕掛けを考える必要があるのではないか。またぞろガイドラインが乱立すると、省庁間の整合性や法的根拠がグダグダとなって却って混乱を助長しよう。法令が想定していない境界的サービスを巡る紛争や法的課題を整理するための枠組みを考えるべき時期に来ているが、何から手をつければいいのか。
大きなテーマに手をつけるほど、ひとつの仕事が2〜3年がかりとなるから、ころころ変えることはできないし、タイミングがきた時に拾うネタを間違えると何年もかけて大きな時間を無駄にしてしまう。いくつか機が熟しているかにみえるテーマはあるのだけれども、実際どんな32歳を過ごすことになるのだろうか。楽しみでもあり不安でもある。