雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

電子政党を妄想してみる

今月のトリレンマは「政党の電子化」がテーマ。昨年はじめて議員会館を走り回って、うっひゃー、こんなに電子化されていないのか!と驚いた。文明の利器は何といってもファクシミリ。永田町と霞が関を結ぶホットラインが新聞社の政治部記者だってことも実感し、政治主導で永田町のプレゼンスが高まっている割にプロトコルが数十年くらい変わってないんじゃないの?と疑問を持ったのがきっかけだ。

衆院選が18日公示され、選挙戦がスタートした。各党のマニフェストについてはメディアやネット上でさまざまに論評されているが、財源や効果、副作用や実現性といった主な論点は評価が非常に難しい。各党内でどのような議論を経てマニフェストが作られたかが明らかになれば、有権者はもっと判断しやすくなると思うのだが。

コラムに書けなかったことを補足すると政務電子化が進まない理由は3つくらいあって、ひとつは党務電子化のために財政支出を行うことが難しいこと。あとは閣僚の高齢化と、電子機器をいじりながら会議できる雰囲気じゃない割に予定が詰まっていること。後ろふたつの問題は政権交代があれば環境が変わるだろうし、最初の問題も特別なシステムが必要ならコストをかけにくいけれども、今時の議員であれば自前のノートPCや携帯電話は持っていて、既存のツールを組み合わせるだけでなんとかなるようならコストの問題は小さいんじゃないかな。仮にコストが問題なら、政治信条とITインフラを上下分離して、インフラ部分は党を問わず共通化して国費で整備するといった枠組みも考えられる。
Twitterで呟きあい、CalDavで審議日程を共有し、Wikiで政策や法案をメンテナンスし、IMで会議中ブレーンに質問を投げ、CRMやらBTSでシステマチックに陳情処理みたいな話であれば、既存の無償ツールを組み合わせるだけで何とかなりそう。結局のところ、やるかやらないかの問題だし、やって話題になれば横展開は早い気がする。ともかく霞が関への依存度を下げる、或いは霞が関文学に惑わされないためには、政策過程をオープン化しつつ外部の専門家にクラウドソーシングしていくのが現実的じゃないか。霞が関に100人も国会議員を送り込んだって政策に専念できる訳でもなし、カバレッジとしては局長級に留まる。実際に政策をハンドルしようとすれば少なくとも課長級のカバレッジが必要だし、そうでなくとも忙しい上に専門知識は官僚に譲る国会議員には手が回らないのではないか。
個々の政策を詰めるところでオープン・プロセスが役立つとしても、政権公約をオープン化するのが難しいことは分からないでもない。最後の詰めのところで、やるべきか否かとは別に個々の政治勢力と突き合わせて調整していく必要がある訳で、そのプロセスをオープン化する訳にはいかないよね。そうやって気を配ったところで、ボトムアップの政策集も合わせて公開されていると頭隠して尻隠さずって面もありそうだけど。
特に米国と比べた場合に日本は党議拘束があってガバナンスの実態が大きく異なり、この辺は政党助成金で強化されてしまったのかなあと考えさせられる。党組織が強いイギリスの場合、党議拘束やら党財政がどうなっているのか、みたいなところは暇なときに勉強してみたい。閑話休題。どっちにしても日本で近々に寄付文化を根付かせることは税制面も含めて難しそうだけれども、中等教育くらいから討論の場をつくったり、ネット上で良い政策提案を政権公約なり法案として磨いていく過程をつくることは、新たな支持層を定着させる手法としても悪くないだろうし、電子政府、ネット選挙の次は「政党の電子化」が流行らないだろうか。
日本各地の地域SNS上にある政策コミュニティや、先の都議選へ向けた民主党東京ぺディアなどが先駆的な試みとしてはあるようだ。選挙と絡めると公職選挙法の問題もあって活動期間が限られてしまうので、できれば通年運用で数年かけてキッチリした政策として磨き上げ「Wikiから○○政策が生まれた」みたいな神話とヒーローを生んで盛り上げていけると政策提案コミュニティの裾野を広げていけるのではないか。オープンソースLinusやMatzさんが脚光を浴びてから顔の見える身近な世界になった面もあり。党派性が前に出ると普通の人々にとって敷居が高いので、どういった主体が政策プラットフォームを運営すべきかは悩ましいところだが。
質の高い政策をつくるには基礎資料が充実している必要があり、統計や法令・政省令・告示、判例などの資料をどうオープン化していくかも重要だ。知財制度も雇用慣行も制度ではなく判例や法理が規範をつくっているが、知識体系として繋がっているようで繋がっていないところがある。統計法改正で個票単位のデータも扱えるようになったが、統計にせよ判例にせよ政策立案に必要な資料である一方で、プライバシーとの兼ね合いもあってオープン化になじまないところが悩ましい。