雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

人材と経済成長の難しさ

人口減が始まったにも関わらず移民を受け入れていない日本にとって経済成長を実現するためには生産性向上が必要で、突き詰めると人材なのだろうなあとは思う。しかし人材について政府が何ができるかというと心許ない。これまでも生涯教育とか再教育機関として大学を位置づけてきたはずだが、大学にそういった市場価値のある教育機能を求めても詮無いし、高い給与を支払える大企業の多くがラベルとしての学校歴に興味を持っていても学歴に対して敬意を払う領域は非常に限られる。

成長戦略で何よりも重要なのは、人材である。硬直化した労働市場で優秀な人材が不況業種にロックインされていることが日本の成長率を下げている最大の要因なので、労働問題も派遣労働の禁止といった後ろ向きの話ではなく、人材を成長分野に移転する成長戦略として考えてはどうだろうか。人材活用のための再教育機関として大学を位置づければ、教育改革ともリンクする。成長戦略に必要なのは財源ではなく、知恵と決断力である。

しかも彼らを適正に処遇すれば全体の生産性が上がるかというと疑わしい。これまで機能していたであろう内部昇格を巡る過当競争を通じて若い時期の従業員を賃金以上に働かせるゲームが成り立たなくなる訳で、全体でみると帳簿上の生産性は下がる場合も多いのではないか。サービス残業とオーバーコミットメントで嵩上げされた生産性に甘えているのは如何なものかという議論もあるが。
米国でMBAなりが持て囃されるようになったのは、やはり成長が鈍化して内部昇格を通じた人材育成が立ち行かなくなり、学歴としての管理職Professionを別トラックにせざるを得なかったのだと推察する。日本でも優秀な人材が他社にしかキャリアアップを求め難い程に閉塞するフェーズとなれば、今よりも大学院以上の高学歴が尊重されるようになる可能性も考えられる。
子どものころ日本は学歴社会で米国は自由競争の世界だと教わった記憶があるが、グローバル企業に入ってみると米国大企業は日本以上に強烈な学歴社会である。本社も日本法人も創業社長が大学中退のM社はまだ叩き上げもいるが、ひところエンジニアの天国と信じられていたG社はもっと強烈な学歴社会だと噂に聞く。
彼の国のように世界中から優秀な人材が集まる帝国であればこそ、移住を希望する高度人材を教化・選別する機関として大学は機能するが、日本では前提が違う気がする。せめてクールな文化と自由かつ快適な環境でアジアに於ける人材のハブになれれば素晴らしいが、なかなか難しいのではないか。
1990年代後半からの米国をモデルとしたイノベーション政策のエミュレーションが期待ほどうまくいかなかった背景に、人材の流動性を巡る問題は明らかにあるが、慣行や法理の問題だから制度的に手当てすることは難しく、どうお膳立てすれば人々が流動するようになるかというと非常に難しい。仕事人生が少なくとも40〜50年ある一方で、将来の社会や制度がどうなるということに対する安定的期待はなく、結果として現在の延長線上で考える他ない人が大半なのだろう。
最近まで外資金融に興味を持っていた優秀な理系学生たちが、リーマンショック以降は公務員やら通信キャリア、リニア構想に惹かれてJR東海とかを志望するのをみて、ああ50年先までの人生を左右する選択を何て短期的な視野でみているんだろうと愕然とするが、私だって22歳の頃は仕事を与えられるがままに不安定なベンチャーに居着いていた。漠然と会社が潰れても生き延びることのできるスキルをとまでは考えていたが、あと40年近く働くことを想像するに気が遠くなる。
恐らく人材の流動性とは必ずしも制度によって担保されるものではなく、それぞれの産業に於けるキャリアパスと処遇、ロールモデル、若い時期に刷り込まれた価値観など多様な要因が人生を賭けた選択に影響しているのであって、例えば解雇の金銭的補償を法制化したから、優秀な人材が急に流動するというものでもない気がする。裏を返せば解雇の金銭的補償なりを法制化したところで個々の企業が優秀な人材に定年までの有期雇用をコミットできない訳ではないのだから、もうちょっと制度的に融通を利かせても社会の土台は揺るがないともいえよう。
少し話は脱線するがNGNIPv6相互接続問題で総務省ISPを保護しようとした時ぼくは大きな違和感を持った。僕自身が10年前は出来の悪いIPネットワーク技術者でもあったが、業界に見切りをつけて足を洗ったのに対して多くの先輩方は業界に残った。縁あって今も業界との付き合いがあるのだけれども、5年前、10年前とインターフェースの速度が何桁か変わっただけで、顔ぶれも空気も個々の技術もあまり変わらないなあと愕然とする。そういった生業を守っていくことが大事なのだから政府の責任として中小企業を守っていく使命があるのだ、という考え方もあるし、そうやって業界ごとエンジニアを塩漬けにしているから新しい何かを生む動きが生まれないとも思う。
どう捉えるかは価値観の問題だが、問題は移ろいやすいハイテク業界にあってキャリア形成と技術革新やら業界構造のスピードが合わなくなっており、商売替えはリスクの塊だし、誰も個々人に対して未来を約束できなくなっているということだ。未来を約束されない中でも夢をみて自ら道を切り開いていく人々もいるが恐らく少数だし、その賭けが成功する例となるとさらに少数で、多くの人は見通しを示してもらえた方が刹那的な生き方を選ばず熟練して高い生産性を発揮するのだろう。その熟練に応分の付加価値を支払える需給環境が続くとも限らないことが今日的な問題なのだが。
恐らくアメリカ式の機会均等は膨大な志ある若者の上に成り立っていて、それはフローで人々が集まり続けるから可能なのではないか。人口が減る一方でホモジニアスな日本が制度だけ米国の猿真似をやったところで、一握りの刹那的な成功者を生むに留まったというのが数年前までの社会実験だったのではないか。
しかし成長を前提とした社会システムはこれからますます軋むだろうし、後先を考えない再配分を試みたところで増税の代わりに長期金利の上昇とインフレを招くだけなのだろう。人生も教育も数十年スパンの議論なのに、今時の政治や行政は数年単位で猫の目のように違うことを試し、コストばかりかけて財政も時間も浪費してしまった。「人材を成長分野に移転する」方向性はマクロ的に正しいとして、具体的に何をどう触れば誰が動くのか、地に足のついた議論に落とそうとすると非常に難しい。