雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

予算査定のネット公開は日本版Open Governmentへの決定打となるか

2010年度は試験的に内閣府の100億円、2011年度から全面的に予算査定のネット公開を予定しているらしい。予算要求の段階で公開されるとなれば、各省からの要求も国民への説明を考えた内容になり、それぞれの予算要求について内容がどこまで詰まっているか、これまで以上に情報が開示されるのではないか。在野の専門家を幅広く動員することで予算の無駄を排し、効果的な事業の提案を促す効果も期待できる。

菅直人副総理・国家戦略担当相は11日、財務省主計局による政府予算の査定過程をインターネット上で随時公開する方針を固めた。具体的には主査、主計官、主計局次長、主計局長といった各省との折衝の節目ごとに事業内容、金額や変更理由の公表を想定している。

正直なところ「大学の相談体制の充実など就職支援の強化」13億円とだけ公表されても、市井のブロガーとして執行の是非について論じ難い。補正の検討日程やら、細かいところが決まらないまま予算要求だけ行われていた国立メディア芸術センターや効果の疑わしい「ポスドクに持参金」等の報道から類推し、どこまで詰まっているか分からないんだから、とりあえず執行を止めて精査するのは新政権として妥当な姿勢じゃないかと考えざるを得ない。
これが予算要求の段階での細かい資料まで公表され、ついでに査定過程での議論なども公表されて初めてフェアな議論ができる訳で、政府予算の再過程を随時公開するというのは素晴らしいアイデアではないか。そしてこの試みは、既存メディアとブログとの関係を大きく変える可能性を秘めている。
予算の査定をオープン化することで、予算の査定段階で専門家による幅広い立場からの事業仕訳をクラウドソーシングできる可能性がある。事業の仕込み段階から動いている関係者が予算の査定段階で最も恐れるのは、事業に対する専門家からの冷静かつ批判的な指摘が、主計官の目に触れることではないか。あらかじめ幅広く議論されることが前提となれば、これまでよりも緊張感が出て無駄を排してメリハリのついた案が出てくる効果を期待できる。
これまでマスコミを通じた予算報道では、少額であっても国民から分かりやすい矛盾を孕んだ「国営マンガ喫茶」や「ポスドクに持参金」といった政治的争点を批判的に紹介することはあっても、予算の大部分を占めている地味な取り組みや先駆的・専門的なところに対しては読者にとって分かり辛く、記者の専門知識が追い付かず、踏み込んだ論評が行われる場合は限られる。ネットのロングテールな世界であれば、それぞれの分野の専門家が異なる立場から論戦を戦わせることが可能となる。ネットでの専門的な論争を受けて予算の見直しや組み換えが行われることがあれば、その社会的影響力は大きく高まるのではないか。
一方で査定段階の予算が詳らかにされることは、政策に対する反社会的勢力や利害関係者からの不当な干渉を許す危険性も考えられる。政府予算に対するネットでの議論の社会的影響力が高まれば高まるほど、議論に影響を与えることに対して組織的に資金が投じる誘因も高まる。それらは政策研究に対する民間資金の流入を促す点では好ましいと同時に、特定の利害関係に基づく偏った主張を、予算査定の短い期間で見分けることは難しいという課題も残る。
米国ではFTCがブログ等のソーシャルメディアで特定の製品を推奨する場合に、商品の提供や金銭授受がある場合は表示することを求めるガイドラインを出したが、金銭的報酬による予算査定への不当な介入を防ぐために、予算査定について論じる場合は雇用や金銭授受などの利害関係を公表すべきだという指摘が出てくることも考えられる。
これは匿名実名論争とも通じる論点だが、ある言論が社会的影響力を発揮するには、そもそも発言の連続性や周囲からの社会的評価に対する信頼が必要だし、それが傾聴に値する主張であれば誰がスポンサーであっても構わないのではないかとも思う。FTCのガイドラインが消費者保護であるのに対し、予算を巡る議論は専門家同士で議論を戦わせるものだからだ。予算査定に影響を与えることを目的として、金銭や便宜などの供与を受けて虚偽の情報を流布する行為に対して、風説の流布や贈収賄に準ずる扱いで規制することは考えられるが、便宜供与には間接的な形態も考えられ、マスメディアとのバランスを考えると難しいかも知れない。
いずれにしても予算査定プロセスのネットでの公開は、日本版Open Governmentへ向けた動きの決定打として、ネットでの議論が現実を突き動かす可能性を期待できる。在野の専門家の間で論争を促し知恵を集めることは、民主党の掲げてきた官僚依存からの脱却にも資するのではないか。