雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

フリーターが自民党を支持する日本の行く末を憂う

多くは正社員になりたいと考えているフリーターが自分のことを「勝ち組」と思っているかは甚だ疑問だが,9.11選挙の結果をみるに,既得権益謳歌する団塊世代を疎み,郵政民営化に当初曖昧な態度を取った民主党労働貴族の代弁者とみている可能性はある.ではフリーターたちは何故,小泉政策によって割を食っている割に,配分的正義ではなく,規制緩和既得権益の打破を支持するのだろうか.
ひとつに彼ら自身が今のところ豊かな生活を享受しており,搾取されているという自覚を持つほどに低い生活水準にはないと考えている可能性がある.また,そもそもフリーター問題の下部構造が労働市場のサプライサイドの問題として理解されていないか,仮に理解されていたとしても,企業に雇用責任を問うよりは,若年層と団塊世代とのゼロサムゲームとして捉えられている可能性が高いのではないか,というのが僕の見立てだ.だいたい,労働市場の供給側が云々といったマクロな議論より,「あいつがいい思いをしてるから,俺たちに職がない」といったミクロの議論の方が何十倍も分かりやすく,腑に落ちる.
「フリーターが増えるのは,若年層を雇用しない企業が悪い」と捉えるか「フリーターが増えるのは,日本が終身雇用で中高年の首を切れないから若年層の雇用を抑えざるを得ないから」と捉えるか.どちらもピン留めしている点が違うだけでいってることに矛盾はない.
どちらに重心を置くかは難しいが,仮に日本経済の持続的成長を目標に置いた場合,前者に対しては「労働還元率を高めて企業の国際競争力を殺いだら,結果的に立ち行かなくなる企業が増えて雇用そのものも長期的には減ってしまうのではないか」という反論が可能だし,後者に対しても「雇用流動化が進み,企業が社内教育を疎かにした場合,使えない未熟練労働者ばかりが増えて労働生産性が低下し,次第に企業の競争力が殺がれるのではないか」という反論が可能である.
ペシミストな僕は「雇用流動化によって使えない未熟練労働者ばかりが増えた日本から,企業がモチベーションと教育水準の高い従業員を求めてアジアに逃げ出していく」というシナリオを現時点での落としどころと想定して,そうなった時に自分が梯子を外されないためのスキルをどう身に付けるかを考えつつ,それよりはマシなシナリオに振る政策手段を探しているところだ.だから正直なところ,リベラリストとリバタリアニストとの罵り合いに関わるつもりはない.どちらも何をピン留めするかの宗教論争でしかないのだから.
なりたくても正社員になれず,職業教育を受けたくとも受けられないフリーターに対して,定職を持てよという説教も,君たちは搾取されているという煽動も同じように無意味だ.同じ若年層で定職を持ち,職業能力を蓄積し続けている層でさえ,経済の成熟によって出世のためには企業を転々とせざるを得ず,フリーター的職業倫理を持った層が増えてくるだろう.当面のところ前者のような非自発的フリーターも,後者のような自発的フリーターも,どちらも政治的には似たような新自由主義に偏るという,奇妙な均衡が続いている.
この奇妙な均衡が崩れるきっかけは何だろうか.非自発的フリーターがもうちょっと歳を取って,親の引退なり年金減額・増税といった理由で生活が本当に苦しくなりはじめたときか,規制緩和による様々な社会資本の毀損が詳らかになったときか,リベラリストがもうちょっと真っ当な政策上の対立軸を打ち出したときか.いずれにしても手遅れかも知れないけど,いまできそうなことはコトバの力で少しでも時計の針を早めることくらいだ.

フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
これこそ、一般常識を180度ひっくりかえす革命的発想といえるでしょう。これなら確かに、フリーターが自民党を支持してもおかしくない。
マルクス・エンゲルス共産党宣言」の「ルンペン・プロレタリアート階級」観的偏見の遺伝子を引継いだ「フリーター=負け組」論で思考停止に陥りつつ、自らは規制やみえざる障壁で身分を守られ実力以上の生活水準を謳歌している「労働貴族」は、「雇用概念の消滅」という表現におののくことでしょう!
近い将来、新しい自民党は以下のような「宣言」(DAS MANIFEST)を出す日が来るかもしれません。
「フリーターは、『夢』以外に失うものを持たない。彼らが獲得するものは『成功』である。全国のフリーターよ、自由民主党のもとに結集しよう!」