雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

金持ちと国家と。。。

なんか結論が正しいことをいってるので揚げ足を取るのも何なのだけど,資本主義にせよ民主主義にせよ次善の正義でしかないんだよね.金持ちの目的と国家の目的が異なるってのはその通りだ.ただ金持ちに意志はあるけど,国家に意志なんてあるのだろうか.ハイデガーはそれがあると考えて,ファシズムの論拠となった.日本にもかつて国体なんて言葉があったけど,最近この言葉は国民体育大会のことを指すらしい.
資本主義が「注意深いマネージメントを必要とする」ように,民主主義も「注意深いマネージメントを必要とする」.金持ちの意志は個人の意志だが,国家の意志ということになっているコトの多くは誰の意志でもなく,政治的野心を持ったさまざまな人々の駆け引きの結果でしかない.
金持ちにせよ国家にせよ,実際に「目的を明確にし、その目的に沿って、全ての戦略と組織を構造化していく」知的作業を担うのは,金持ち本人でも抽象的な国体なるものでもなくテクノクラートたちだ.彼らは指図する「持てる者」に対する「持たざる者」であると同時に,「持たざる者」の中で比べれば「持てる者」という微妙な立場にある.頭と手足とで境遇も効用関数も異なることが,企業であれ国家であれ組織を複雑にしている.
国家にせよ企業にせよ,テクノクラートの上昇志向が組織を破滅に追いやるケースが少なからずある.戦前の関東軍であったり,ベアリングス社の凄腕トレーダーであったり.だから金持ちが富を継承したり,王家だの天皇家が外交を司る世襲に対して歴史の知恵を見出すとすれば,巨大組織の意思決定から「上昇志向バイアス」を取り除く効果はあるのだろう.
そして少しは賢い元々の金持ちであれば,自由であろうがなかろうが社会が不平等であることを知っているのではないだろうか.金持ちよりもっと金持ちがたくさんいるのだし,自分が苦労とは別の理由で最初から金持ちであることを自覚できるはずからだ.自由の公正さを喧伝するのはむしろ,自分の得た富を自分の能力と努力の結果と信じたい俄か金持ちが中心で,まぁ中には昔から金持ちであっても勘違い野郎だっているかも知れないけど.
自由主義も民主主義も私は擁護するが,それら制度によって起こっている様々な矛盾から目を背けるためではなく,他にもっと良い仕掛けが見当たらないからだ.そして,注意深くマネジメントしたところで人間の集まりだから,いろいろと矛盾を孕むし時には暴走することだってある.そしてブラジルのように,たまたま興味深い成功をすることもあるのだろう.

結局のところ、金持ちの目的は、国家の目的と異なるということがキモなのだ。
金持ちたちも、国家も、営利企業も、NGOも、すべてマネージメントを行う。すなわち、目的を明確にし、その目的に沿って、全ての戦略と組織を構造化していく。
しかし、全ての構造化の根っこにある「目的」が、金持ちたちと国家では、異なるのだ。
(略)
しかし、市場原理は、任せっきりにしておけば、自動的に全ての人を幸せにしてくれるほど、インテリジェントな幸せ製造装置なんかではない。
たしかに、それは、使い方によっては、幸せ製造装置として、十分に機能しうるが、その装置の運営には、注意深いマネージメントを必要とするというのは、ブラジルの例からも明らかだろう。
金持ちが自由競争や市場原理を擁護するような理屈をこねるとき、この部分でインチキをしていないかどうかを十分に注意しながら聞いた方がいいだろう。