雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

格差はなくならないがフェアにすべき

id:p-4が主張するように雇用の流動性を論ずるのであれば、切り捨てられる側のことにも目を向けねばなるまい。ここでの汎用機オペレータやCobolプログラマは、汎用機の運用やCobolコードの保守の仕事がある会社に転職できるかも知れないし、LinuxJavaを勉強し直すのかも知れない。問題は誰がキャリアデザインに責任を持つかということだ。日米で状況は違うが、どちらが正しいというものでもない。

id:p-4 システム全般, 興味深い 「汎用機オペレータとCobolプログラマを切って、LinuxオペレータとJavaプログラマを雇い入れる」→この後の汎用機オペレータとCobolプログラマがどう食うかを語らないとたぶん駄目なんだと。良い方に目がいきがちだけど。

日本では今なお組織が責任を負う一方、米国では本人の責任だ。ここでいう汎用機オペレータやCobolプログラマがプロジェクトに残ったり、よりよい給料で他社に転職できるか否かは基本的に本人の責任ということだ。ただ米国では職務範囲が明確なので、自律的に仕事ができれば、自分の時間をつくって勉強することは日本よりも容易である場合が多い。
経済の成熟や歪な人口構成で、大企業や中央官庁でさえ魅力的なキャリアパスを若者に提示できず、優秀な人材が外資ベンチャーに流出しているらしい。これは自業自得だし時代の変化を促す上でも悪い話ではない。但し正社員の権利が厳しく守られている一方で非正規雇用が増え、結果として法規制が原因となって、労働市場がローリスク・ハイリターンとハイリスク・ローリターンに二極化していることは由々しき事態である。
僕は必ずしも米国型の自由放任が望ましいとは考えないが、ローリスク・ハイリターンとハイリスク・ローリターンとの二極化と、後者から前者へは移行し難い非対称性は、機会均等の観点でみても不公正に過ぎると考える。少なくともハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンとの分布に転換し、階層間で双方向の流動性を担保すべきだろう。
具体的には自発的にキャリアの自己決定を引き受けるハイフライヤー層と、機会よりも立場の安定を重視するローフライヤー層とで、規制を二階建てにすることが有効である。リスクを厭わないハイフライヤー層は残業代不要、労働時間規制や解雇規制をなしとする代わりに兼業許可を義務化し、ローフライヤー層の地位は従前通り保護し、同一労働同一賃金最低賃金など、これまで以上に規制するのである。そして管理職以上は一律ハイフライヤー層として扱う。管理職を切りやすくなるので経営合理化が容易になるし、若者にとって大きな仕事にありつく機会が増えるはずだ。
件の例に戻れば、汎用機オペレータやCobolプログラマがローフライヤー・コースを選んでいればスキル転換に必要な教育や雇用が保障されるし、ハイフライヤー・コースを選んでいれば保護されない代わりに高い報酬と仕事の自由度が提供され、その気になれば新しい技術のキャッチアップもできるし、喜んで他社が引き抜くような高度なスキルを磨き、それを外部にアピールする機会が与えられる。即ち自己のエンプロイアビリティーを自分でメンテナンスできるということだ。
何がうまくいくか分からない、誰も最終的に正しい選択が何か分からない環境では、理不尽や予測不可能性を無理に押さえ込もうとし、或いは押さえ込めたのだと信じ込むよりも、自己決定として個々人が結果を受け入れる仕掛けをつくった方がうまくいく。僕は終身雇用・年功序列を否定する気はない。けれども政府が労働規制を通じて従前の雇用慣行を維持強化すべき社会的要請はないし、世代間・個人間の公正性という観点で重大な問題を孕み、早急に改善すべきと考える。