DRMなんて嫌いだ
ずっとCDを買う生活習慣はなかった。新しいガジェットを買う度にiTMSとかMoraとかLismoとか、あちこちで音楽をダウンロード購入しているのだが、ダウンロードしたファイルを持ち続けた試しがない。何せ人柱環境で不安定だから月に何度もOSを再インストールするし、主に使うマシンもころころ変わるので、決まったPCでコンテンツを管理するのが難しいのだ。いちおうデータのバックアップは取るが、面倒な操作をせずにゴソッとコピーするだけなので、暗号化したファイルやDRMのかかった楽曲は頻繁に紛失する。bit列としてはあるのだが、解く鍵を消してしまったという奴だ。
そもそもPCもハードディスクもフラッシュメモリも何年かしか持たないのに、そこにコンテンツを固定するという発想が狂っている。むしろネット上のアカウントに紐付けて、消してしまっても何度でも鍵の再発行を受けられるようにして欲しい。そもそもDRM方式が標準化されておらず、規格としての寿命そのものが疑わしいのに、利用者の資産をそこにロックインするとは如何なものか。
少し話はずれるが、ダビング10も同様、1世代しかコピーを認めないなんてHDレコーダがずっと使えることを前提にしていて非常識だ。レコーダやハードディスクの買い換えシナリオくらい真面目に検討して欲しい。だいたい視聴者から視聴の自由を奪って、コンテンツのステークホルダにとってどれほどの意味があるのだろうか。収益機会が増えるメリットよりも、みたいのにみれないひとがいることの機会損失の方が大きいのではないか。
100歩譲ってデジタルは劣化しないから何らかの保護が必要という意見には配慮しよう。であればファイルの複製は認めず、常にビットレートを落としたトランスコードしか認めないというのはどうだろう。モバイルデバイスには自由に転送できるし、機器の買い換え時にも多少の劣化はあるが複製できる。アナログのビデオテープだって磁気劣化の関係で数年おきにダビングする必要があるのだから、決して悪い話ではない。
DRMの話をすると権利者による政治的な意地の張り合いに技術屋が真面目に振り回されてしまって、おかしな結論に落ち着きがちだ。米国では活字メディアが健全な批判精神を発揮して、そうおかしなことにならないのだが、日本ではマスメディア集中排除の原則を郵政大臣時代の田中角栄が骨抜きにしてしまったせいで、誰もちゃんとした批判をしない。声高に批判しても主要メディアが黙殺してしまう。そうやって地方局を生かすために衛星放送やIPTVが骨抜きにされた訳だ。
幸いなことに音楽は、徐々にDRM抜きで買えるようになりつつある。日本のテレビでは何がこの不毛な均衡を崩すのだろうか。若手視聴者を根こそぎWinnyやYoutube、ニコニコ動画に浚われる前に、現実的な落とし処を探る動きが顕在化するはずだが。正直いってデジタル家電もアクトビラも、iPodやニコニコ動画と比べて難し過ぎる。これは日本の家電業界にとってもコンテンツ業界にとっても、ちょっとまずいのではないか。