日本の教育に欠けているもの
何故こんな子を育てられないか日本の教育は真剣に反省すべきだ。すげーうらやましいよ。僕は英語の勉強がすごく苦手で中学を留年し、高校を中退し、大学でも留年した。けれども小学校の頃は英語が好きだったし、予備校時代から英文のBYTEやWIREDは読んでいたし、大学1年の頃から仕事で米英に足を伸ばしていたし、今も外資系ソフト会社で本社の役員相手にプレゼンしたり、日々英文メールを打って仕事してる。けれど受験英語は今も昔もさっぱりだ。
最近はインターネットなどで「知識の高速道路」が整備され、どんな分野であれ一気に高いレベルに行けるといわれていますが、この分野では英語の壁は高いんです。大人であれば英語が読めるからよいのですが、低年齢でITの分野を学ぼうと思っても、英語ができないと途中までしか行けないのです。
彼は「知識の高速道路」を疾走できたが僕はすごく遠回りをした。中高時代はネットがなかったからね。新聞部の部室に電話回線を引く訳にもいかず、ひところ真面目にアマチュア無線のパケット通信を使って通信社のようなことをできないかと考えたこともあったが、局免を持ってる新聞部なんてないし、従免を持ってる新聞部員も少ないし、どう考えても無理だな、と。
当時の自宅近くの溝の口の本屋には洋書の書棚があって、NeXTとかX11とかPost Scriptの解説書が置かれてた。2つ年下の後輩がすごく優秀で、BASICは3ヶ月で覚えることがなくなって、回路設計やら機械語やらで遊んでいた。僕は幼稚園の頃BASICに挫折してプログラミングは向かないって分かっていたから、技術的な知識を活かしつつ社会と関わることに決めて、新聞部でDTPに打ち込んだ。その方向性は今も間違っていなかったと思う。けれども仮に好きを貫けていたら、ひょっとして英語漬けで勉強し、数学とか他のことも好きになっていたかも知れない。社会科学を嗜むにせよ、ちゃんと英語でジャーナルを通せるくらいに。。。って妄想だけどね。
結局のところ、すごく狭い世界に自分を押し止めてしまったという反省はあるし、これから何処へ行くべきか悩むところもあるが、空費した時間を惜しんでも詮無い。帰国子女であれそうやって伸び伸び育った子たちが現れて、彼らを日本という社会がどこまで大事にできるかという問題や、日本でそれなりに育った子たちが、どこまで日本を見捨てずに何かしら考えてくれるかが大事だ。
僕は僕なりに異端者・先駆者として周囲の大人たちから大切にされてきた実感があるし、僕もこれからの若者を大事にして、彼らがちゃんと羽を伸ばして素晴らしい結果を出せるような社会を築くために努力する必要があるのだろう。彼らの才能や環境に嫉妬しても詮無い。僕は僕がこれまで先行投資してきた得意分野で社会と関わるしかないのだから。