雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

地に足のついた成長なんて

最近はたまたま大企業に所属し大学教員の真似事もしているが、僕は大学の何たるかとか即戦力がどうという議論をするに全く相応しくないなと気付く。経歴だけをみると二十歳の頃から即戦力で何足の草鞋を履きながらキャリアを駆け上がってきたが、じゃあ僕は予備校時代に地に足のついた成長をしていただろうか。
とんでもない。高校をドロップアウトして大検予備校に入りやってたことは、勉強そっちのけで本を読み漁り、講師だった鈴木邦男の手引きでジャナ専の絓秀美ゼミに潜り、早稲田の学生と高田馬場で痛飲して救急車を呼ばれ、地に足のついた成長とは掛け離れた無頼な予備校生生活を送っていた。振り返ると仕事漬けだった大学時代より遙かにモラトリアムを謳歌してたよなぁ。

SEとかは別にして、大企業は即戦力よりも、素直に成長して将来的に会社に貢献できる人物を欲しがってるのではないだろうか。僕だって、そう思ってしまう場面はあると思うし、地に足のついた成長を意識しなければいけないと思う。

僕は今も昔もジャーナリスト志望の政治少年だ。今も文壇バーでウヰスキーを呷って天下国家を論じている時が一番楽しくて羽目を外して飲み過ぎてしまう。もともと縁があったとはいえ世の中を大きく動かしそうだったからIT業界に身を置いた。ライターも続けているが最初から食えそうもなかった。
何故みんな何かになろうとするのだろうか。企業は新参者に対して、何者でもなく、これから会社色に染まってくれることを望んでこそ新卒一括採用をしているのに、虫のいいことに現場ですぐ使えるようになって欲しいと考えている場合もある。即戦力が欲しければ中途採用すればいい訳で、やっぱり若者を会社色に染めたいか、白紙だからこそ新しい何かをやって欲しいと望んでいるか。
僕は新卒として就職活動をしたことがないので、その辺の感覚は分からない。自分がこの業界に入った1996年ごろ、たくさんの大人に可愛がってもらったし、できるかできないか分からない世界にも飛び込んで実績をつくり、周りからは伸びしろがあるようにみえていたかも知れない。
当時ソフトウェア産業そのものは既に30年近くの歴史があって、バブル崩壊の爪痕も生々しく、今と変わらない程度に考えていない奴が多かった。JCLとかRPGを囓っただけのSEじゃオープン系*1にシフトしてから仕事にならなくて量販店の店頭で法被を着てパソコンを売らされていると聞き、そうやって使い捨てられたら嫌だなぁ、僕は使い捨てられない何者かになるし、そのためには共時的な知識だけでなく、蓄積できる通時的な経験を積まなきゃと心に誓った。
ネットの黎明期が非常にラッキーだったのは若く経験がなくても勉強して、その場その場で周りの大人達よりも詳しければ、何となく信用してくれて仕事が取れたことだ。言った者勝ち、学んだ者勝ちって感じの空気があった。1996〜97年頃は特にそうだったし、ネットバブル崩壊前後まで、そういう浮ついた雰囲気って少しは残ってた気がする。実は今も探せばあるのかも知れないが、僕がそういう浮ついた世界から距離を置いたのかも知れない。
学生のIT離れと屡々いわれるが僕が学生の頃だって人月で買い叩かれるSEになる気はなかったし、ホリエモン時代の寵児で、渋谷に目のイッちゃった若者達が屯してカメラに向かって「起業したいんですー」なんて時代は半年も続かなかった訳で。ふと思ったんだけど当時有名なコテハンのむぎ茶って、芸風とか微妙にid:fromdusktildawnと似てないか。
今と昔で敢えて何かが変わったか考えてみると、何でも簡単に手に入るせいで勉強しやすくなったし、けどそこじゃ差がつかないから却って勉強しなくなったよねとか、オープンソースとグーグル先生のお陰で情報アクセスの非対称性がなくなって、しょうもない手間に高い付加価値をつけることは難しくなったな、と。それは世知辛いが健全な変化ではある。
いつまで続くか分からないが、業界のスピード感はここ数年の方があるのではないか。ニコニコ動画がページビューで1年も経たずに楽天を超したりとか明らかに強烈な変化がある。ただ彼らはまだ儲けていないし、第1世代ベンチャーのように量的成長を志向する雰囲気はない。mixiとかモバゲータウンとか、利用者数で1000万人乗せしたといっても、何百人も雇ったり、数百億円の売上が立つという話でもなさそうだ。はてな創業地の京都に移転するというし、世界を見据えて長期的視野で地道に継続指向の経営を行うというのは、意外と本来の日本企業に近づいているというか、漸く米国コンプレックスを克服して本来の日本的な強みを発揮する素地が出てきたかなという期待もある。京都には任天堂とか京セラとかユニークでイノベーティブな会社が結構ある。
今も昔も足下だけみていると退屈にみえるし、大半の連中は兵隊のように上から降ってきた仕事をしている。いつの時代も激しく世界を変える連中は少数精鋭だが、時代を変えた彼らはいつの時代も業界で少数派だった。もし最近になって業界が成熟したようにみえているとすると、Webの世界に囚われすぎている可能性がある。今やWeb開発市場には、Cobol以来のあらゆるソフトウェア産業の悪弊とか空疎なマーケティング用語が持ち込まれてしまった。
世界のどこかで今も革新的な何かをつくっている奴はいる訳で、そう捨てたものじゃないんじゃないかな。トップノッチで居続けるためには、常に違うことをやってなきゃいけないし、自分が同じところに留まっていると周囲が次々と馬鹿ばっかになったようにみえるのは確かだ。けれどもそういった時、相対的に自分が時代から取り残されているだけだったりするものである。
この広い業界の中で、様々な時間の流れが併存していることを考えた時に、セグメントを切り直していく中で少数精鋭でレバレッジを効かせたプレーヤが何処で何をやろうとしているのか、というのは何時も重要な関心事ではある。そして自分が10年くらい前と比べると、ゆったりと時間の流れる世界を生きていることについて、自分は蓄積できる通時的な経験を確実に積んでいるのだという手応えと、実は自分が古い価値観に拘泥されて時代から取り残されつつあるのではないかという微かな不安の狭間で悩む。
そういう時、即戦力として相手から何を期待されるかという受け身で世界をフレーミングすると自ずから限界があって、どこかで教養なるものを学ぶとするならば、そういった自分にとっても周囲にとっても未知な領域に対して、どうやって自分の認知をストレッチしてフレームを再定義できるかが、伸びしろとして周囲から密かに期待されていることもあるのではないか。

なんつーか、自分の頭で開拓するんじゃなくて もう既に開発されつくした領域が多いけれど、生産性の問題でガッツリ労働人口だけ必要としてて 運良いのか悪いのか そこそこの初任給もらえちゃったんだけど よくよく長い目で見ると それって小作人?でジリ貧、みたいな.

*1:当時オープンソースという言葉はまだなかった。ダム端末ではなくPCを端末にしたクラサバならオープン系といっていたし、端末アプリがVBでDBがOracleとかそーゆー世界だ。