雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

Facebookと掛けてHotel Californiaと解く

答えは曲の歌詞で"いつでもチェックアウトできるけど、ずっと離れらんないよー♪"だってさー。Facebookを退会しても、これまでの友人とのやりとりや、コミュニティの掲示板への書き込みといった、過去の様々な痕跡を削除することが難しいことが問題となっているみたい。

Indeed, many users who have contacted Facebook to request that their accounts be deleted have not succeeded in erasing their records from the network.
"It’s like the Hotel California," said Nipon Das, 34, a director at a biotechnology consulting firm in Manhattan, who tried unsuccessfully to delete his account this fall. "You can check out any time you like, but you can never leave."

いうまでもなくFacebookに限らずmixi等の国内コミュニティ・サービスも同様の問題を抱えており、退会してIDが消えてもコミュニティ等での過去の書き込みが全て消える訳ではなく、プロフィール情報にアクセスできなくなるだけだ。全ての痕跡を消すにはFacebook同様、書き込みなど丹念にひとつひとつ削除する必要がある。簡単にやりたければ退会する前に。
SNSのデータがRDBMSでどんな風に格納されているか見当がつく技術者として、これらのSNSが全てのデータを削除しない技術的事情は理解できる。利用者のキーは様々なところで参照されているから、実際にデータを削除してしまうとデータの整合性が失われてしまうからだ。
運用面を考えても、退会した後に再び入会したいという利用者はさておき、不正侵入者によって退会させられたと主張する利用者からの復旧要求等に応じる必要がある。最近では学校での銃乱射事件など容疑者がSNSに入会しているケースが多く、警察から貴重な捜査情報としてSNSでの活動履歴の提出を求められることもあろう。利用者が退会を受け入れたとしても、実際にデータを削除するのではなく、退会フラグを立てて管理することが、技術的にも運用上の便宜を考えても現実的なのだ。
更に問題をややこしくしているのが、Facebookが外部に広告プラットフォームやアプリケーション・プラットフォームを提供していることだ。Facebook入会時に登録したプロフィール情報を退会後もFacebookが広告のパーソナライズ等に利用することを認めるべきか。約款に明記しているから問題ないというのがFacebookの立場だ。実際にはターゲティングに使うクッキーに有効期限があるので、Facebookのデータベースには未来永劫データが残っていたとしても、実質的には数ヶ月でターゲティングには使えなくなるだろうが、利用者として釈然としないのは分かる。
またFacebookのサイト内でアプリケーションを組み込んで場合、インストールした時にFacebookとは別のサービスに入会したって認識はない場合もあるが、一般にはアプリケーションの導入時に提供者の約款に合意している。Facebookから退会しても、かかるアプリケーション提供者の管理している情報は恐らく削除されない。Facebookを退会すれば当然Facebookのアプリケーションからも退会したと思い込んでしまうのが人情だが、アプリケーション提供事業者にしてみれば公称利用者数を水増しできる分、できればFacebookを退会しても欲しくないのも分かる。
とはいえFacebookと一体的にサービスを提供することで利用者を誘導してきた以上は、Facebook利用者がFacebook本体と一括して退会できる仕組みくらい用意しておいた方が親切ではあるだろう。例えば退会時にチェックボックスで「Facebook上で利用していたアプリケーションを同時に退会する」という選択肢も選べるような配慮も必要ではないか。
SNS上の情報のライフサイクルを巡っては他にも死者の扱いをどうするかなど、考えるべきことは山ほどある。例えば亡くなられたitojunさんのデータはmixi上やitojun.orgに今も残っている。これらは将来、IPv6等に関係した技術史の重要な史料となるかも知れない。但し倉庫に残っている日記や往復書簡と違って、ネット上のデータは引用され、改竄され、中傷される可能性もある訳で、本人が既にいないときにどう管理すべきか。僕がいきなり車に轢かれるなどして亡くなった時、自分のmixiはてなダイアリーtwitter等の足跡はどう管理されるのだろうか。
いわゆるプライバシーについて自己情報コントロール権は認められるべきという考え方はあるが、果たしてネット上での活動はどこまでプライバシーに含まれるのか、まだコンセンサスは確立していない。少なくともコミュニティ内での公共財としての側面もあるのだから、必ずしも全ての権利を本人に帰属させるべきではなく、コミュニティの合議に委ねられるべき性質の部分もあるのではないか。
利用者がFacebookから退会する場合、彼のプロフィール情報が引き続き商業利用されることを拒む権利は認められるべきだ。けれども彼のコミュニティ等での言説について、退会と同時に全て削除する必要は必ずしもないだろう。もちろん商売だから消費者の要望に応じて、完全削除の選択肢を提供することも自由だ。
退会したくなったSNSや死者の生前の活動に限らず、炎上で失われたブログの魚拓とか、Winnyに流出してしまった様々な機密書類とか、世の中には責任関係が不明なまま漂う情報が少なからずある。検索やターゲティング広告などデータの利活用が進めば進ほど、宙ぶらりんの情報をどう管理すべきか、利用者のリテラシーと事業者の姿勢が問われるのではないか。