雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

文房具を遠く離れて

文房具は高校時代に凝っていた。印刷屋に頼んで特注の原稿用紙をつくってもらったり、ペン先が金の万年筆を買ったり。文房具としてPCやPDAをみたとき、技術革新が一進一退というより退化していることが結構ある。ある時期いいバランスの機器が出ても気付くとバランスが悪くなっている。

東大の坂村健氏が20年前に提唱したTRONプロジェクトの、派生プロジェクトでBTRONというOSがあり、そのBTRONを搭載したノートPCのキャッチフレーズが「電房具」だった。名コピーだと思う。
ともあれ、文具としてのコンピュータを今一度考えてみる、ということを僕の今年のテーマにしたい。

Palmとか初代モバイルギアとか一瞬で立ち上がって電池も長持ちしたんだが、今どきのPDAは電池がすぐ切れるしフリーズするし、どうして退化するかなぁ。バックライトやカラー液晶より、レスポンスや電池の持ちがよっぽど重要なのに。ノートPCも起動に何分もかかっちゃ、機動性が悪くて困る。最も重要なヒューマン・インターフェースであるはずのキーボードに至っては20年近く退化する一方じゃないか。心に残る素晴らしいキーボードといえば、業務用OASYS向けの親指シフトキーボードとか、ガチャガチャうるさいIBM A01キーボード。だいぶ落ちるがノートPCでもThinkPad 600くらいの頃は良かった。
ワープロの時代は各社とも垂直統合モデルで、文房具的な感性で製品企画されていたのではないか。僕が中学のころ富士通OASYSのPR誌とか読んだことのうる覚えでは、文章早打ちコンテストで優勝した女性が、漢字仮名交じり文で毎分200文字以上のスコアを叩きだしており、インタビューで「この文字を入力する時にはこの読みとか決めています」なんて話をしていた。彼女はキーボードに文字を打つのが早すぎて、民生用OASYSではキーバッファが溢れてしまうので、自宅に当時数十万円はした業務用OASYSを買ったという。それでも載っているのは286だが、素晴らしいキーボードと、チカチカしないモノクロディスプレイと、レスポンスが素早く、よく練られたソフトウェアが入っていた。今のPCを使って同じ速度で文字入力できるか疑わしい。
ハードウェアのコモディティ化が進み、ワープロ全盛の286時代と比べてCPUクロックは数百倍の速度になったが、メモリウェイトは劇的に増えたし、ソフトウェアが複雑になり過ぎた。時分割多重システムの延長線上で発達したマルチタスク・マルチウィンドウと、プラガブルな仮名漢字変換システムなど、随所に入力遅延を発生させる仕掛けが潜んでいる。これはパソコンに限った話ではなく、携帯電話でも数年前、TRONからSymbianLinuxとなった時にレスポンスが大きく悪化した。ドコモの905iで大きく改善されたけどね。Palmも次世代OSの開発に失敗したし、ザウルスもXtalで32bit化する前の8bit時代の方が操作性が練られていた。XtalからLinuxとなって更におかしくなった。
古くはPalmZaurus、最近だと携帯電話やiPodがソフトウェア・アーキテクチャを近代化せざるを得なかった背景に、インターネット接続など機能要求が複雑となり、ソフトウェア規模の肥大化に対応したモジュール化やライブラリの活用で工数を抑え込む必要など、様々な事情がある。けれども一気通貫アセンブラでごりごり書いていたのをモダンなアーキテクチャで書き直すとUIが直感的でなくなったり、ペン入力インターフェースがシームレスでなくなり、レスポンスが悪化するなど、却ってユーザーエクスペリエンスが退化してしまう場合が多い。
メモリ保護のない世界で、アセンブラとかを使ってゴリゴリ書いているうちはユーザー・エクスペリエンスオリエンテッドにレイヤーを跨いだ最適化を施せるのに対し、1台のコンピュータを何人もで共有していた時代に発達したプロセス・モデルの上で、ややこしいコンポーネント・モデルの押しつける型が、プログラマの発想を制約し、実現可能なインターフェースを制約してしまうことがあるのだろう。
つくって儲かるかどうかは疑わしいが、一瞬で立ち上がり、電池の長持ちし、入力系や画面にすごくお金をかけた高級万年筆のようなPDAとか出てこないものか。いまどきネットに繋がらなきゃ売れないだろうし、昔のPalmのようにアセンブラでごりごり書く訳にはいかないのだろうけど。イメージ的には電子辞書にテキストエディタ機能を組み込めばいい気がするが、今時の電子辞書のソフトウェア・アーキテクチャってどうなのだろう。
当時のOASYSくらいのソフトウェアスタックなら、いまどき余裕でMPUの2次キャッシュに収まりそうな気がする。そこまで時代錯誤の懐古趣味はさておき、文房具というメタファーを起点に、いまのPCやPDAに欠けているものを炙り出すと、これまでと全く異なる差別化や付加価値とか、いろいろ面白いアイデアが出てくるのではないか。