雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

技術の普及過程が単純じゃないことを教えてくれる珠玉の1冊

献本御礼。安岡氏のことは以前isedで僕がQWERTY配列への言及したことについて、議事録に詳細なコメントを寄せていただいた時から気になっており、/.jpの日記は欠かさず拝読していた。本書は収穫逓増の議論で有名になったQWERTY配列の神話、即ち「素早くタッチタイプしてもタイプライターのアームが絡まないよう、わざと遅く入力するよう工夫した」という説を丹念にタイプライターの歴史を追うことで覆した貴重な技術史書だ。ネットワーク効果や収穫逓増の例として、QWERTY配列の普及は必ず引き合いに出される例だが、本書を読めば史実はそんな単純ではなかったことを知らされる。
僕はQWERTY配列や収穫逓増の話を最初に『ネットワーキング―情報社会の経済学』で読んだが、本書は安岡氏が同書への批判を編集部に寄せたことを契機に企画されたらしい。QWERTY配列デファクト標準になる過程にポール・アラン・デービッド氏がQWERTY経済学で指摘した経路依存性だけでなく、特許権を巡る様々な駆け引きやトラストの形成、テレタイプの文字コードとキーボード配列の依存関係など、様々な思惑と技術的制約が絡んでいた経緯を豊富な資料で解き明かす筆致は圧巻だ。
QWERTY配列が天下を獲った背後の真相を知るだけでなく、タイプライターからテレタイプ、そしてコンピュータへ、キー配列と文字コードがどう絡み合いながら、百年以上前に発明されたキー配列が今日の私たちの手元にも再現されているのかに思いを馳せると気が遠くなるが面白い。PC-UNIXユーザーなら一度は頭を悩ますであろう英語キーボードで日本語キーボードのキーマップの違い、例えば2の上が英語キーボードだと@で日本語キーボードだと"であることが、遡ると1960年代のANSIIBMとの綱引きに起因していたことなど目から鱗が落ちた。
QWERTY配列の神話は、市場を独占したタイプライター・トラストが自社に都合の悪い歴史を隠蔽し、その後QWERTYよりも優れた配列を開発したと主張するDVORAKQWERTYを攻撃し続けた文章が歴史的に検証されないまま孫引きされ、デービッドのQWERTY経済学で爆発的に普及したというが、歴史が何時どのように書き換えられるかについても本書は様々な示唆深い史実を拾っている。
QWERTY配列そのものに興味がなくても、歴史が改竄される経緯を読み解き、技術史の調べ方を学ぶ上で非常に興味深い1冊である。