雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

禁忌と妄想

岸さんがいいことを書いている。やってる側は成長産業を見捨てたなんて自覚はなくて、政策過程がぶっ壊れて、誰もが思い思いのことをやるようになってしまったのかな。何をどう間違ってしまったか分からないが、有害コンテンツ規制に関する自民党の党内調整は粛々と進んでいる模様。
関係者からは政治主導ゆえの筋の悪さや運用に対する様々な不安は聞いたが、政治家の方針に何処まで官僚がブレーキを踏むべきか議論があるところではある。本来は役所でしかモデレートな議論ができないのがおかしいのであって、政治が成熟するにはどうしたらいいのか。センセーショナルに煽るマスコミが悪いという意見もあるが、見え透いた手法じゃ揺るがないくらいの原則が必要という気がする。

もしこの法案が成立したら、日本では青少年保護のためにブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画配信などの成長産業を見捨てますと宣言するに等しい。有害情報削除の義務付けは、間違いなくネット利用を萎縮させることになるからである。

まずい状況がみえていて、いろいろ働きかけても大きな流れがビクともしなくて、しかも何がどう押し流しているかさえ定かじゃない状況に対しては、最早ああ俺も総動員態勢とか日米開戦を防げなかった先人たちを批判できないな、みたいな無常観がある。そうやって自分の無力さ気付きつつ足掻くことを省察すると、歴史を見る目も変わるよ。という訳で迂遠だが明治政府の変遷とか、日露戦争に於ける対米プロパガンダとか、戦後の自由論の変遷とかをダラダラ追っかけている。そういえば今月の中央公論を読んで、また小選挙区から中選挙区に戻すのも一案だなぁと思ったり。
閑話休題。ぶっちゃけ青少年がアクセスできる情報が制限されたって構わないと思っている。若者だもの、それくらい乗り越えて大人の世界を垣間見るくらいの気概を持てよ、と。国の押しつけよりは親の方針で決めた方がいいけど。ケータイ小説にみられる直截な表現とか、すぐ暴力、エッチ、中絶みたいな流れに辟易していて、仮に有害コンテンツを規制すれば、もっと隠微で示唆に富んだ表現が出てくるんじゃないか、みたいな期待もある。あの子たちの隠語をつくる能力を、フィルタ潜りより創造性っぽいところに発揮してもらえないものか。あれだけ売れている理由はあって、物語の構成は非常によく出来ているらしいし。
ちょっと心配なのは独立行政委員会をつくって有害情報の定義をさせることで、個別に有害を判断すれば業務量が膨大になるだろうし、年がら年中エロとか残酷なコンテンツを確認するのも辛い仕事で気が変になりそうだし、OECD等から児童虐待コンテンツ対策ガイドラインのようなものが出た時に、大人向けの検閲も対象とするよう委員会を改組しようみたいな議論も出そうだ。有害って児童虐待と違って保護法益が確定していない分、いくらでも概念を拡張できる。ドイツに配慮してネオナチ関連も有害に括ろう、ついでに過激派やカルトも、みたいな。
アナーキーな感じのする終戦直後のカストリ雑誌でさえ微妙に淫靡なだけの表現でも発禁を食らっていたようで、僕の生きてきたこの30年って出版の隆盛とかIT普及とか表現の自由とか、諸々の意味で最もエッチな情報にリーチし易い時代だったのではないか。
振り返って普通のアダルトビデオっぽいものをどう入手したかは覚えていないが、高校で裏ビデオとかを貸してくれた友人のことは鮮明に覚えている。同級生から借りた裏ビデオは演技じゃなく嫌々陵辱されている感じのもので、ちょっと見て気分が悪くなり、とても抜く気にはなれなかった。あの嫌悪感を思い出すにつけ、あれは被写体の人権を考えたら規制されて然るべきだが、視聴者にとって有害かというと難しい気がする。健全な感覚を持った人間であれば性欲より嫌悪感が先立ち、性犯罪は悪いことだと考えるのではないか。だから普通のAVも規制すべきって話じゃなくて、子供には刺激の小さなものをみせるべきという主張の文化的背景が、どこら辺にあるのか気になったんだ。残酷な現実を知ることが、逆に社会的判断の基盤となることもあるだろうし。もともとの童話が残酷なのも倫理の根に残酷な現実を見据えることがあるからではないか。
昨日、本屋で『検定絶対不合格教科書古文 (朝日選書 817)』を拾い読みしたら面白かった。よく古文の教科書で取り上げられる源氏物語とか宇治拾遺物語について、最新の研究成果を踏まえて行間を読むと非常にエロく、もちろん正しい解釈を生徒たちに教える訳にはいかないよね、みたいな。児って僧の慰み相手である場合があったり、関係を経ると敬称がなくなるとか、源氏物語で初枕の翌朝はしゃぎまくる源氏とショックを受けている15歳の紫の上みたいな話を行間から読み取る訳だが、ああいう風に教えられたら、もうちょっと真面目に古文を勉強した気がする。しかし15歳で初体験じゃ準児童ポルノだな。それとも有害コンテンツとは映像や画像・音声といった視聴覚メディアだけが対象となるのか。家出サイトとかはテキストも有害コンテンツの範疇だろうけど。
まあ文学にせよVHSにせよネットにせよ、技術革新ってエロからブレイクしたんだ。ただ、プログラミングも表現も、制約が大きいほど知恵を絞って、文化なり手法として洗練されることもある。政党の動きの背後にある世論やマスメディアとか、前提となる仮説や方法論について、もう少し掘り下げて考えていかないと、有害コンテンツ規制へ向けた大きな流れに抗することは難しい。自分にも地を這うような現実認識と、時代を透徹した歴史観が欲しい。