雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

不甲斐ない同世代について

うーん、年配か否かというよりはタイミングの問題なんだよねー。仕組みじゃなく世の中とかバランスが変わったんだよ。問題はこれだけ世界が動いているのに、世の中の相場観があまり変わっていないことだ。森鴎外の時代から「いい学校いって、いい会社に入って」って価値観だった我が国で、いい学校に入っても報われない、いい会社に入るのはすごく難しいって時代が突然やってきたのだから。

本来的には圧倒的な強者である若者があきらめざるを得ないほどに、巧妙で、圧倒的に強固で、絶望的なほどに盤石な、「年配者が有利な仕組み」をこの国は作り上げてしまった。

同世代の連中に対しては、いまさら泣き言いうなよ、と思うことはあるよ。僕は中学の頃には、学歴社会なんて従順な工場労働者を育てるための教育だから遠からず行き詰まるって信じていたんだ。そんな風に考えるのが早すぎて中学を留年、高校は退学しちゃったけどさ。それはそれで5%の変な生き方であって一般化するのは良くない。いい社会ってのはきっと、いわれたことをちゃんとこなす8割の人々も幸せにできる社会のことだ。
そういう意味で年配者の上8割の人々が人生の勝ち組っぽくみえている現状、ロスジェネの8割がフリーターであれ正社員であれ満たされない思いを抱えている現状に対して、現状維持という名で幻想を維持するために利食いし続けた日本とか日本の組織に対する絶望はある。けれども結局のところ僕らは、そういう世界とちゃんと闘ってないんだよね。幻想を壊したくない団塊世代と、いい会社に潜り込めたポストロスジェネとの共犯関係に対して、なにひとつ有効な反撃ができていない。
ベンチャーを成功させたり外資に逃げ延びて勝ち組風を吹かせるにしても、フリーターとして終わりなき日常を生きるにしても、そこからはポッコリと日本の未来を貪る連中との闘争が抜けていて、矛盾した社会を正視しないまま、市場主義とか日常に逃走している訳だ。そこにはそこで、戦後成長の惰性を否定しない共犯関係というか休戦協定のようなものが不気味に成立しているようにも思える。
たぶん「年配者に有利な仕組み」を誰かが意図的につくったのではなくて、これまでの惰性でやってきて、民主的な手続きを踏んでファインチューニングしてきたら、結果としてそうなっただけなのだろう。これはとても消極的な選択を積み重ねた結果に過ぎない。そして小泉改革が仮にも国民から受け入れられたのは、このまま惰性じゃ続かないよねというPublic Sentimentを巧みに刺激しつつ、肝心なところで融通無碍に現実と折り合ったからなのだろう。
あまり同世代で足を撃ち合っても詮無いが、国を頼る思想って結局のところ相場観やバランスとしては必然的に高齢者がヨリ得をしてしまうだろうし、キャリアを積み重ねられなかったロスジェネ世代の若者たちがチャンスを得られる仕組みを、あまり年寄りに隙をつくらないカタチで組み立てる必要がある気がするんだけど、まだあまり具体的なアイデアはない。
たぶん理屈としては資源の再配分を主張するよりも、もうちょっと未来志向で多くの具体的困窮が救われる絵を描く必要があるんじゃないかな。なんだけどそれって「たまたま運の悪かった世代」的な自己規定ではブレイクスルーしなくて、今の景気動向をみると平成生まれくらいは就職活動で苦労しそうな気がするんだけど「日本はこのままじゃ駄目だし、昔の幻想にしがみついていたら駄目だ」くらい絶望した新世代が出てこないと、活路は見出せないかも知れない。
たぶんロスジェネとして活路を見出すとしたら「他世代と比べて自分たちは運が悪かったのではなく、先のない夢から醒めなきゃならないんだ」というところまで自己規定し直す必要があるんじゃなかろうか。「俺たちの世代以外は、みんなうまくやりやがって」的な時代感覚が、実際には年配者を利する再配分指向に繋がっている気がする。たぶんその先の言辞はあまり説得力を持たない。切実ではあるんだけど、運の悪い人々だって風に回収されちゃうよね。
それはそれとして、テクニカルには雇用規制とか最低賃金生活保護とかについて、制度的に見直すべき点はいっぱいあると思うけどね。これはこれで経済学的なインセンティブ設計として論ずべきで、政治的争点にすると水掛け論にしかならないんじゃないかな。