雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

恊働的言説と政治的言説

結局のところ僕にとって、このブログは政治的言説の場であって、恊働的言説の場じゃないってことなんだよね。カイシャでお仕事している時は、物事をevidence-fact-insight-opinionを腑分けして論じ、企画をgoal-objective-tacticsの順に噛み砕いてAction Itemsに落とし、話し相手のBSCを意識しながら意見の違う相手に対してもgoalを共有してrequirementとresource allocationとか詰めて、心地よくテキパキ仕事を手伝っていただく努力をする訳ですよ。

そして議論をする際には、「事実」と「意見」をきちんと分けて議論しましょう。でないと、一致点も相違点も曖昧なまま時間切れになりますぜ。
まぁどっちでもいいですけど。
なーんてなことを、ビジネスファシリテーションの研修を終えたばかりの私は思うのでした。まる。

けれども世の中には割り切れない物事というのも山ほどあって、それはとりあえず吐き出して、時間をかけて反芻し、いろんな人々と論点を共鳴させていくことで理解が深まっていくのであって、このブログって別にアウトプットを出す場ではないので、そういうブレスト的な吐き出し方をしているのであって、それ以上でも以下でもない。別にブクマされたりアクセスが増えれば儲かる訳じゃないからね。ここでの論争に勝てば物事が動く訳じゃないし。
僕が非公式に考えていることが、僕とこのブログ両方に目を通している人々に触れて後の話が楽になることもあるし、僕と利害関係のない人々から致命的な突っ込みが入らないか、くらいしか気にしていない。ブログってみんなでいろいろ考えているようにみえて、そういうオープンな場で意見を戦わせられるひとのタイプとか世代って非常に限られているから、議論そのものも非常に偏っているよ。たぶんPublic Sentimentという観点では、小倉さんの方が割と世間に近い感覚なんじゃないかと思う。僕が過剰に小倉さんに対して絡んでいるのも、その辺の埋められない溝を少しずつでも言語化したいという下心もある。
事業目標へ向けた動員のためのコミュニケーション作法と、社会的コンセンサス形成へ向けた納得のためのコミュニケーション作法って、全く違うものだよ。前者は時にすれ違いを自覚しつつ顕在化させず円滑に行動を促すことが目的だけれども、後者は論点を顕在化し、シナリオをつくるための言辞なんだ。政治的言辞の後工程にも、利害対立を自覚しつつ顕在化させずに円滑に多数派を形成するためのコミュニケーション作法ってのもまた別にあったりするけど、それはそれで別の話。
つまりid:codemaniaxがビジネスファシリテーション研修で学んだことは、業務を円滑に運営するためのテクニックであって、それ以上でも以下でもない。最近の若者って世界が狭い割に実務能力のためのコミュニケーション能力ばかり叩き込まれるせいで、周りをどう動かすかばかり考えているうちに、自分がどう考えるかのための言説とか論争に極めて弱くなっている気がするんだけど、どうだろう。この辺って恐らくは、全共闘世代に対する反動の負の遺産なんだろうな。