それって何て自分探しホイホイ
内田さんが面白いことを書いている。ITによる効率化で仕事量が減らない理由とか、使いもしない技術の勉強をしまくるのとか、時給換算せずに原稿書きまくるとか、カネにならないブログでエントリ書きまくるのとか、そういうことなんだろうと思うけど。
労働と報酬は「相関すべきである」というのは表面的にはきわめて整合的な主張のように見えるが、実際には前件の立て方が間違っている。
(略)
労働は「オーバーアチーブ」を志向する。
飢えが満たされても満たされないのである。
もっと働きたいのである。
そういう怪しげな趨向性を刻印された霊長類の一部が生産関係をエンドレスで巨大化複雑化するプロセスに身を投じたのである。
(略)
労働とは何か、私たちはよくわかっていない。
その謙抑的な態度がこの問題を論じるときの基本である。
仕事をするってのは、楽しいですよ。誰かから頼られたり、自分でやるべし!と確信したことを前に進める時とかは特に。一方で「お前はこれだけやっとけ」「勝手なことすんな」とかいわれれば強烈にディスカレッジされる。結局「働いたら負け」という心境に至るのは、仕事を通じてオーバーアチーブされたいループにハマれる若者が減ってるってことなんじゃないかな。
何で若者が職場に騙されなくなったか、オーバーアチーブを志向した仕事中毒になる前に引いてしまうかといえば、たぶんネットで横の情報共有が密となって昔のような無理が通らなくなったからだ。今も昔も多くの人々が搾取されていた訳だけど、搾取されていた人々ほど世界が狭かったから、それが労働基準法違反だとか、苦労の先に希望がないとか、気付くことがなかったのだろう。仕事中毒になる前の辛い間に、ドコソコはブラック企業とか、法律上は云々といった情報が山ほど出てくる。で、転職支援サイトは「さあ今こそキャリアアップ、あなたの年収は適正ですか」とかやる訳だ。ふつう目移りしちゃうよね、喧伝通りであることなんか実際は少ないんだろうけど。
新しい会社、大きな会社の中には、そういった時代の変化を織り込んだ人事施策のできているところもあるけれども、若者の振る舞いが大きく変わったことに対して「近頃の若者は」的な鬱憤を抱えているところも少なくないのだろう。けれども起こっていることは、若者が労働と対価の等価交換を求めるようになったというよりは、情報が増えて職場の矛盾とかに気付きやすくなっている上に、転職支援ビジネスとかの喧伝で目移りし易い環境が整ってきているということだろう。
問題はそういう環境でひとを育てるって大変なんじゃないか、ということだ。逃げられる率が高ければ企業は新人教育に投資し難いし、しごくことも難しい。若者の方も今の仕事に打ち込んで大丈夫なのか確信が持てない。常に「キャリアプランつくってますか」「スキルアップしてますか」「努力に応じて遇されていますか」とかいうFUDに晒される訳だ。
努力に対して働きがいのある仕事で報いるという日本の伝統的人事制度がオーバーアチーブを志向する内発的欲求を刺激していることは明らかだが、オーバーアチーブを志向するか否かは与えられた環境によって異なる訳で、近頃の若者が労働と報酬の等価交換を求めるようになったとして、その原因を彼らの性根に求めるよりは、彼らに対して内発的動機付けできる職場が減ったと考えるのが自然ではないか。それは必ずしも悪い話ではなく、ネット上のソーシャル・メディアの隆盛で、食えるだけの収入を得られるかはさておき、自己を投影できてオーバーアチーブを志向する場が増えていることもあるのだろう。